ほっこく》神話の中の神のような人物は、宇宙の問題に思を潜めている。それでも稀《まれ》には、あの荊の輪飾の下の扁額《へんがく》に目を注ぐことがあるだろう。そしてあの世棄人《よすてびと》も、遠い、微かな夢のように、人世《じんせい》とか、喜怒哀楽とか、得喪利害とか云うものを思い浮べるだろう。しかしそれはあの男のためには、疾《と》くに一切|折伏《しゃくぶく》し去った物に過ぎぬ。
 暴風が起って、海が荒れて、波濤《はとう》があの小家《こいえ》を撃ち、庭の木々が軋《きし》めく時、沖を過ぎる舟の中の、心細い舟人は、エルリングが家の窓から洩《も》れる、小さい燈《ともしび》の光を慕わしく思って見て通ることであろう。
[#地から1字上げ](明治四十五年一月)



底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「森鴎外全集」岩波書店
初出:「帝国文学」
   1912(明治45)年1月1日
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2005年10月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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