んな美しい女のためにでも、無条件に犠牲に供せようとは思わない。この心持は自分にもはっきり分かっている。そんなら何が今でもこの男に興味を感ぜさせるかと云うと、それは女が自分のためにのぼせてくれるのを、受身になって楽しむところに存する。エピクロス派の耽美家が初老を越すと、相手の女の情欲を芸術的に研究しようと云う心理的好奇心より外には、もうなんの要求をも持っていない。これまでのこの男の情事は皆この方面のものに過ぎなかった。それがもう十年このかたの事である。
ピエエル・オオビュルナンはそんな風にこれまで相手にした女とまるで違ったマドレエヌに逢って、今度こそどんな心持がするか経験してみようと思っている。それが心の内で秘密な歓喜として感ぜられる。マドレエヌは本当の田舎の女である。そして読書に飽きたオオビュルナンの目には Balzac が小説に出る女主人公のように映ずるのである。
そこへまた他の一種の感情が作用する。それはやや高尚な感情で、自分の若かった昔の記念である。あの頃の事を思ってみれば、感情生活の本源まで溯って行く道がどんなにか平坦であっただろう。その恋しい昔の活きた証人ほど慕わしいものが世にあろうか。まだ人生と恋愛とが未来であった十七歳の青年の心持に、ただの二三十分間でもいいから戻ってみたい。あのマドレエヌに逢ってみたらイソダンで感じたように楽しい疑懼《ぎく》に伴う熱烈な欲望が今一度味われはすまいか。本当にあのマドレエヌが昔のままで少しも変らずにいてくれればいい。しかし自分はどうだろうか。なに、それは別に心配しなくてもいい。もちろん髪の毛は大ぶ薄くなって、顔のそこここに皺《しわ》が出来たが、その填合《うめあわ》せにはあの時のようにはにかみはしない。それから立居振舞も気が利いていて、風采も都人士めいている。「それに第一流の大家と来ている」と、オオビュルナンは口の内で詞に出して己《おのれ》を嘲《あざけ》った。
自動車が止まった。オオビュルナンは技手に待っていろと云って置いて、しずかに車を下りてロメエヌ町へ曲がった。小さい、寂しい横町である。少数の職業組合が旧教の牧師の下に立って単調な生活をしていた昔をそのままに見せるこう云う町は、パリイにはこの辺を除けては残っていない。指定せられた十八番地の前に立って見れば、宛然《えんぜん》たる田舎家である。この家なら、そっくりこのま
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