って訳して聞せた。しかも勉《つと》めて仏経の語を用いて訳するようにした。唯識を自在に講釈するだけの力のある安国寺さんだから、それを丁度尋常の人が Fibel や読本を解するように解した。F君はこの流義を踏襲することを肯《がえん》ぜずに、安国寺さんに語格から教え込もうとした。安国寺さんは全く違った方面の労力をしなくてはならぬので、ひどく苦しんだ。
暫く立って、F君は第一高等学校に聘せられたが、矢張同じ下宿にいて、そこから程近い学校に通うので、君と安国寺さんとの関係は故《もと》のままであった。
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私が東京に帰ってから、桜が咲き桜が散って、気候は暖いと云う間もなく暑くなった。二階に登って向いの下宿屋を見れば、そこでも二階の戸を開け放っている。間数が多いので、F君や安国寺さんのいる部屋は見えない。見えるのは若い女学生のいる部屋である。
欄干に赤い襟裏《えりうら》の附いた著物《きもの》や葡萄茶《えびちゃ》の袴《はかま》が曝《さら》してあることがある。赤い袖の肌襦袢《はだじゅばん》がしどけなく投げ掛けてあることもある。この衣類の主《ぬし》が夕方には、はでな湯帷子《ゆかた》を著て、縁端《えんばな》で凉んでいる。外から帰って著物を脱ぎ更《か》えるのを不意に見て、こっちで顔を背《そむ》けることもある。私はいつとなくこの女の顔を見覚えたが、名を聞く折もなく、どこの学校に通うと云うことを知る縁もなかった。女は美しくもなく、醜くもなく、何一つ際立って人の目を惹《ひ》くことのない人であった。
向いの家の下宿人は度々入り替ると見えて、見知った人がいなくなり、新しい人が見えるのに気の附くことがあった。しかしF君と安国寺さんとは外へ遷《うつ》らずにいた。私の家の二階から見える女学生も遷らずにいた。
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一年余立って、私が東京へ帰ってからの二度目の夏になった。或る日安国寺さんが来て、暑中に帰省して来ると云った。安国寺さんは小倉の寺を人に譲ったが、九州鉄道の豊州《ほうしゅう》線の或る小さい駅に俗縁の家がある。それを見舞いに往くと云うことであった。
安国寺さんの立った跡で、私の内のものが近所の噂《うわさ》を聞いて来た。それは坊さんはF君の使に四国へ往ったので、九州へはその序《ついで》に帰るのだと云うことであった。使に往
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