ismarck の手紙が引いてある。某は中尉で白髮になつてゐるのだから、Streber であるのも是非が無いといふやうな文句である。此例も明白に嘲る意を帶びてゐる。
 僕は書生をしてゐる間に、多くの Streber を仲間に持つてゐたことがある。自分が教師になつてからも、預かつてゐる生徒の中に Streber のゐたのを知つてゐる。官立學校の特待生で幅を利かしてゐる人の中には、澤山さういふのがある。
 官吏になつてからも、僕は隨分 Streber のゐるのを見受けた。上官の御覺めでたい人物にはそれが多い。祕書官的人物の中に澤山さういふのがゐる。自分が上官になつて見ると、部下に Streber の多いのに驚く。
 Streber はなまけものやいくぢなしよりはえらい。場合によつては一廉の用に立つ。併し信任は出來ない。學問藝術で言へば、こんな人物は學問藝術の爲めに學問藝術をするのでない。學問藝術を手段にしてゐる。勤務で言へば、勤務の爲めに勤務をするのでない。勤務を方便にしてゐる。いつ何どき魚を得て筌を忘れてしまふやら知れない。
 日本語に Streber に相當する詞が無い。それは日本人が Streber を卑むといふ思想を有してゐないからである。
 最一つ同じやうな事を言つてみよう。
 獨逸人は 〔sittliche Entru:stung〕 といふことを言ふ。〔Entru:sten〕 といふ動詞は素と甲を解く、衣を卸すといふやうな意味から轉じて、體裁も何も構はなくなる程おこることになつてゐる。腹を立つことになつてゐる。Sittlich は勿論道義的、風俗的である。〔Sittliche Entru:stung〕 といふと、或る事が不道徳である、背俗であると云つて立腹するのである。道徳的憤怒と譯しても好からう。約《つづ》めて言へば義憤であらう。
 然るに日本語では勉強家といふのに何の貶《おと》しめる意味もないやうに、義憤は當然の事であつて、少しも嘲る意味を帶びてはゐない。獨逸語で 〔sittliche Entru:stung〕 といふと、頗る片腹痛い。
 此詞は Heyne の字書の 〔Entru:stung〕 の條を見ても、Streber といふ詞のやうに、明白に嘲を帶びてゐるといふ説明を加へては無い。併し引例には矢張 Bismarck の演説が出てゐる。それは論敵が
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