、わたくしがもうあなたの自由になってもいいと思っていると云うことを、随分はっきりあなたにお知らせ申すことになりましたでしょう。ところがわたくしどならなくてはならなかったのですから、「これで結構ですよ、打っちゃって置いて頂戴」とでも云うように聞えたじゃございませんか。それからわたくしあのあとで五分間ほど黙っていましたの。ところがその黙っていると云うことも、がらがら云う一頭曳の中で本当には出来ませんでしたのね。あれが静かな、軟い、むくむくした二頭曳の中だったら、あなただってわたくしが黙っているのにお気が附いて、なぜ黙っているかとお尋ねになったでしょう。するとわたくしまあ、ちょいと泣き出したかも知れませんのね。
男。ははあ。なるほど。なるほど。
貴夫人。ところが一頭曳では黙っていると云うことがなんでも無い事になってしまいます。なぜと云ってご覧なさいまし。物を言ったって聞えないほどやかましい馬車の中では、黙っているより外|為方《しかた》が無いと云うことになりますからね。むずかしく申しますと、「無声に聴く」と云うことが一頭曳の馬車では出来なくなりますのですね。そこで肝心のだんまりも見事にお流《な
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