、白髪を一本並べにして祖母子《おばこ》に結つたのである。しかもそれが赤いちやん/\こを著てゐる。左の手に桝をわき挾んで、ずん/\座敷の真中まで出る。すわらずに右の手の指尖を一寸畳に衝いて、僕に挨拶をする。僕はあつけに取られて見てゐる。「福は内、鬼は外。」お婆あさんは豆を蒔きはじめた。北がはの襖を開けて、女中が二三人ばら/\と出て、翻《こぼ》れた豆を拾ふ。お婆あさんの態度は極めて活々としてゐて気味が好い。僕は問はずして新喜楽のお上なることを暁つた。
 Nietzsche に芸術の夕映といふ文がある。人が老年になつてから、若かつた時の事を思つて、記念日の祝をするやうに、芸術の最も深く感ぜられるのは、死の魔力がそれを籠絡してしまつた時にある。南伊太利には一年に一度希臘の祭をする民がある。我等の内にある最も善なるものは、古い時代の感覚の遺伝であるかも知れぬ。日は既に没した。我等の生活の天は、最早見えなくなつた日の余光に照らされてゐるといふのだ。芸術ばかりではない。宗教も道徳も何もかも同じ事である。
 暫くして M. F 君が来た。いつもの背広を著て来て、右の平手を背後に衝いて、体を斜にして雑談
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