》より敬服して弟子の如くなり居り候。御先考様は其左近の宅に酒を持ち行かれし者と想像致候。左近は本名佐平と申候。」中氏が武彦さんの姻戚なることは上に云つた。武彦さんは麹町《かうぢまち》区土手三番町四番地に住んでゐる。
 本文に四郎左衛門を回護したと云ふ女子薫子は伏見宮諸大夫若江|修理大夫《しゆりのだいぶ》の女《むすめ》ださうである。薫子の尾州藩徴士荒川甚作に与へた書は下の如くである。「当月五日横井平四郎を殺害致し候者御処置之儀、如何之御儀《いかゞのおんぎ》に被為在候哉《あらせられそろや》。是は御役辺之儀故、決而可伺儀《けつしてうかゞふべきぎ》に而者無之候《てはこれなくさふら》へ共、右殺害に及候者より差出し候書附にも、天主教を天下に蔓延《まんえん》せしめんとする奸謀之由申立《かんぼうのよしまうしたて》有之、尤《もつとも》、此書附|而已《のみ》に候へば、公議を借て私怨を価(一本作憤《いつぽんはふんにつくる》、恐並非《おそらくはならびにひならん》)候哉共被疑《そろやともうたがはれ》候へ共、横井奸謀之事は天下衆人皆存知候所に御座候間、公議を借候とは難申《まうしがたく》、朝廷之参与を殺害仕候は不容
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