ホせるためであつた。此洋行者は皆横井が兄の子で、後に兄を伊勢太郎《いせたらう》と曰《い》ひ、弟を沼川三郎《ぬまがはさぶらう》と曰つた。横井は初め兄の家を継いだものなので、其家を左平太の伊勢太郎に譲つた。
智者は尊王家の中にも、佐幕家の中にもあつた。しかし尊王家の智者は其智慧の光を晦《くら》ますことを努めた。晦ますのが、多数を制するには有利であつたからである。開国の必要と云ふことが、群集心理の上に滲徹《しんてつ》しなかつたのは、智慧の秘密が善《よ》く保たれたのである。此|間《かん》の消息を一の drame の如くに、観照的に錬稠《れんちう》して見せたのは、梧陰存稿《ごいんそんかう》の中に、井上毅《ゐのうへこはし》の書き残した岩倉具視《いはくらともみ》と玉松操《たままつみさを》との物語である。これは教科書にさへ抜き出されてゐるのだから、今更ここに繰り返す必要はあるまい。そんなら其秘密はどうして保たれたか。岩倉村|幽居《いうきよ》の「裏のかくれ戸」は、どうして人の耳目に触れずにゐたか。それは多数が愚《おろか》だからである。
私は残念ながら父が愚であつたことを承認しなくてはならない。父は愚
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