搭゚を問はず訪問して話を聞いた。しかし父が亡くなつてから、もう五十年立つてゐる。山河は依然として在つても、旧道が絶え、新道が開け、田畑が変じて邸宅市街になつてゐる。人も亦《また》さうである。父を知つてゐた人は勿論、父の事を聞いたことのある人は絶無僅有で、其の僅《わづか》に存してゐる人も、記憶のおぼろげになり、耳の遠くなつたのをかこつばかりである。
私の前に話したのは、此《かく》の如くにして集めた片々たる事実を、任意に湊合《そうがふ》したものである。伝へ誤りもあらう、聞き誤りもあらう。又|識《し》らず知《し》らずの間に、私の想像力が威《ゐ》を逞《たくまし》うして、無中《むちゆう》に有《いう》を生じた処も無いには限らない。しかし大体の上から、私はかう云ふことが出来ると信ずる。私の予想は私を欺かなかつた。私の予想は成心《せいしん》ではなかつた。私の父は善人である。気節を重んじた人である。勤王家である。愛国者である。生命財産より貴きものを有してゐた入である。理想家である。
私はかう信ずると共に、聊《いさゝか》自ら慰めた。然しながら其反面に於いて、私は父が時勢を洞察することの出来ぬ昧者《まい
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