フある上田が捕へられて見れば、海間の心づくしも徒事《とじ》になつた。
 四郎左衛門が捕へられてから中一日置いて、十六日に柳田は創のために死んだ。牢屋にはまだ旧幕の遺風が行はれてゐたので、其|屍《しかばね》は塩漬にせられた。上田と四郎左衛門とが捕へられた後に、備前で勇戦隊を編成した松本|箕之介《みのすけ》は入牢《にふらう》し、これに与《あづか》つた家老戸倉左膳の臣斎藤直彦も取調を受けた。
 当時の法廷の摸様は、信憑《しんぴよう》すべき記載もなく、又其事に与《あづか》つた人も亡くなつたので、私は精《くは》しく知らぬが、裁判官の中にも同志の人たちに同情するものがあつたので、苛酷な処置には出《い》でなかつたさうである。私は又|薫子《にほこ》と云ふ女があつて、四郎左衛門を放免して貰はうとして周旋したと云ふことを聞いた。幼年の私は、天子様のために働いて入牢した父を、救はうとした女だと云ふので、下髪《さげがみ》に緋《ひ》の袴《はかま》を穿《は》いた官女のやうに思つてゐた。しかし実はどう云ふ身分の女であつたかわからない。後明治十一二年の頃、薫子は岡山に来て、人を集めて敬神尊王の話をしたり、人に歌を書い
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