黷ス二三日後に、辻々《つじ/\》に貼り出された文書などが、影響を与へてゐるのであつた。此文書は何者の手に出でたか、同志の干《あづか》り知らぬものであつたが、其文章を推するに、例の落首などの如き悪戯《いたづら》ではなく、全く同志を庇護《ひご》しようとしたものと見えた。貼札は間もなく警吏が剥《は》いで廻つたが、市中には写し伝へたものが少く無かつた。其文はかうである。
「去んぬる五日、徴士横井平四郎を、寺町に於いて、白日斬殺に及びし者あり。一人は縛《ばく》に就《つき》、余党は厳しく追捕せられると云《いふ》。右|斬奸之徒《ざんかんのと》、吾|未《いま》だ其人を雖不知《しらずといへども》、全く憂国之至誠より出でたる事と察せらる。夫《そ》れ平四郎が奸邪、天下|所皆知也《みなしるところなり》。初め旧幕に阿諛《あゆ》し、恐多《おそれおほ》くも廃帝之説を唱へ、万古一統の天日嗣《あまつひつぎ》を危《あやう》うせんとす。且《かつ》憂国之正士を構陥讒戮《こうかんざんりく》し、此頃|外夷《ぐわいい》に内通し、耶蘇《やそ》教を皇国に蔓布《まんぷ》することを約す。又朝廷の急務とする所の兵機を屏棄《へいき》せんとす。
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