^″\に引き離しては考へられなかつたのである。
 私は引き離しては考へられなかつたと云ふ。是《これ》は群集心理の上から云ふのである。
 歴史の大勢から見れば、開国は避くべからざる事であつた。攘夷は不可能の事であつた。智慧《ちゑ》のある者はそれを知つてゐた。知つてゐてそれを秘してゐた。衰運の幕府に最後の打撃を食《くら》はせるには、これに責むるに不可能の攘夷を以てするに若《し》くはないからであつた。此秘密は群集心理の上には少しも滲徹《しんてつ》してゐなかつたのである。
 開国は避くべからざる事であつた。其の避くべからざるは、当時|外夷《ぐわいい》とせられてゐたヨオロツパ諸国やアメリカは、我に優《まさ》つた文化を有してゐたからである。智慧のあるものはそれを知つてゐた。横井平四郎は最も早くそれを知つた一人である。私の父は身を終ふるまでそれを暁《さと》らなかつた一人である。
 弘化四年に横井の兄が病気になつた。横井は福間某《ふくまぼう》と云ふ蘭法医《らんぱふい》に治療を託した。当時|元田永孚《もとだながざね》などと交《まじは》つて、塾を開いて程朱《ていしゆ》の学を教へてゐた横井が、肉身の兄の病を
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