v献もせずに死んだ、艸木《さうもく》と同じく朽《く》ちたと云はれても、私はさうでないと弁ずることが出来ない。
 かうは云ふものの、若《も》し私がここに一言を附け加へたら、人が、「ああ、さうか」とだけは云つてくれるだらう。其《その》一言はかうである。「津下四郎左衛門は横井平四郎《よこゐへいしらう》の首を取つた男である。」
 丁度《ちやうど》世間の人が私の父を知らぬやうに、世間の人は皆横井平四郎を知つてゐる。熊本の小楠《せうなん》先生を知つてゐる。
 私の立場から見れば、横井氏が栄誉あり慶祥《けいしやう》ある家である反対に、津下氏は恥辱あり殃咎《あうきう》ある家であつて、私はそれを歎かずにはゐられない。
 此《この》禍福とそれに伴ふ晦顕《くわいけん》とがどうして生じたか。私はそれを推《お》し窮《きは》めて父の冤《ゑん》を雪《そゝ》ぎたいのである。
 徳川幕府の末造《ばつざう》に当つて、天下の言論は尊王と佐幕とに分かれた。苟《いやしく》も気節を重んずるものは皆尊王に趨《はし》つた。其時尊王には攘夷《じやうい》が附帯し、佐幕には開国が附帯して唱道せられてゐた。どちらも二つ宛《づゝ》のものを一つ
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