オて、そこで伊木は第二隊を募集した。備中の藤島政之進《ふぢしままさのしん》が指揮した義戦隊と云ふのがそれである。
 或る日城外の調練場で武芸を試みようと云ふことになつて、備前組と備中組とが分かれて技を競《くら》べた。然《しか》るに撃剣の上手は備中組に多かつたので、備前組が頻《しきり》に敗《まけ》を取つた。其時四郎左衛門が出て、備中組の手剛《てごは》い相手数人に勝つた。伊木は喜んで、自分の乗つて来た馬を四郎左衛門に与へた。競技が済《す》んで帰る時、四郎左衛門が其馬に騎《の》つて行くと、沿道のものが伊木だと思つて敬礼をした。
 六月に伊木は勇戦義戦の両隊を纏《まと》めて岡山に引き上げた。両隊は国富《くにとみ》村|操山《みさをやま》の少林寺《せうりんじ》に舎営することになつた。四郎左衛門は隊の勤務の旁《かたはら》、伊木の分家|伊木木工《いぎもく》の側雇《そばやとひ》と云ふものになつて、撃剣の指南などをしてゐた。
 四郎左衛門は勇戦隊にゐるうちに、義戦隊長藤島政之進の下に参謀のやうな職務を取つてゐた上田立夫《うへだりつぷ》と心安くなつた。二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて慷慨《かうが
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