。常の日の内にゐる時間も、休日も、祭日もお客のお相手をする。人を尋ねる餘裕はない。
私はこんな風に考へてゐる。尤も私だとて、こんな風に考へてゐるのを立派な事だとは思つてゐない。こんな風に考へざることを得ないのは、實に私の拙なのである。
私の時間の遣操に拙なのは、金の遣操に拙なのと同一である。拙は藏するが常である。併し拙を藏するのも、金を藏すると同一で、氣苦勞である。今は告白流行の時代である。仍て私は私の拙を告白するのである。
長谷川辰之助君も、私の逢ひたくて逢へないでゐた人の一人であつた。私のとう/\尋ねて行かずにしまつた人の一人であつた。
浮雲には私も驚かされた。小説の筆が心理的方面に動き出したのは、日本ではあれが始であらう。あの時代にあんなものを書いたのには驚かざることを得ない。あの時代だから驚く。坪内雄藏君が春の屋おぼろで、矢崎鎭四郎君が嵯峨の屋おむろで、長谷川辰之助君も二葉亭四迷である。あんな月竝の名を署して著述する時であるのに、あんなものを書かれたのだ。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]の名を著述に署することはどこの國にもある。昔もある。今もある。後世もあるだらう。併し「浮雲、二葉亭四迷作」といふ八字は珍らしい矛盾、稀なるアナクロニスムとして、永遠に文藝史上に殘して置くべきものであらう。
飜譯がえらいといふことだ。私は別段にえらいとも思はない。あれは當前だと思ふ。飜譯といふものはあんな風でなくてはならないのだ。あんな風でない飜譯といふものが隨分あるが、それが間違つてゐるのである。あれがえらいと云はれたつて、亡くなられた人は決して喜びはせられまいと思ふ。
著作家は葬られる運命を有してゐる。無常を免れない。百年で葬られるか、十年で葬られるか、一年半年で葬られるかゞ問題である。それを葬られまいと思つてりきんで、支那では文章は不朽の盛事だ何ぞといふ。覺束ない事である。棺を蓋うて名定まる何ぞともいふ。その蓋棺の後の名が頗る怪しい。Stendhal の作を Goethe が評した。それがギヨオテの全集に殘つてゐて、名前の誤植が何板を重ねても改められずにゐた。そのスタンダルの掘り出されてもてはやされる時も來る。Gottsched は敵役であつた。ギヨオテや Schiller が吹聽せられるので、日本にまで惡名を傳へられてゐた。それがどうやら昨
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