番頭は三河《みかは》新城《しんじやう》の菅沼織部正定忠《すがぬまおりべのしやうさだたゞ》、西大番頭は河内《かはち》狭山《さやま》の北条|遠江守氏春《とほたふみのかみうぢはる》である。以上は幕府の旗下で、定番の下には各与力三十騎、同心百人がゐる。大番頭の下には各|組頭《くみがしら》四人、組衆《くみしゆう》四十六人、与力十騎、同心二十人がゐる。京橋組、玉造組、東西大番を通算すると、上下の人数が定番二百六十四人、大番百六十二人、合計四百二十六人になる。これ丈《だけ》では守備が不足なので、幕府は外様《とざま》の大名に役知《やくち》一万石|宛《づゝ》を遣《や》つて加番《かばん》に取つてゐる。山里丸《やまざとまる》の一加番が越前大野の土井能登守利忠《どゐのとのかみとしたゞ》、中小屋《なかごや》の二加番が越後|与板《よいた》の井伊|右京亮直経《うきやうのすけなほつね》、青屋口《あをやぐち》の三加番が出羽《では》長瀞《ながとろ》の米津伊勢守政懿《よねづいせのかみまさよし》、雁木坂《がんきざか》の四加番が播磨《はりま》安志《あんじ》の小笠原|信濃守長武《しなのゝかみながたけ》である。加番は各|物頭《もの
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