救済の方法を講ずることが出来たら、彼は一種の社会政策を立てただらう。幕府のために謀ることは、平八郎|風情《ふぜい》には不可能でも、まだ徳川氏の手に帰せぬ前から、自治団体として幾分の発展を遂げてゐた大阪に、平八郎の手腕を揮《ふる》はせる余地があつたら、暴動は起らなかつただらう。
この二つの道が塞がつてゐたので、平八郎は当時の秩序を破壊して望《のぞみ》を達せようとした。平八郎の思想は未だ醒覚せざる社会主義である。
未だ醒覚せざる社会主義は、独り平八郎が懐抱してゐたばかりではない。天保より前に、天明の飢饉と云ふのがあつた。天明七年には江戸で白米が一両に付一斗二升、小売百文に付三合五勺になつた。此年の五月十二日に大阪で米屋こはしと云ふことが始まつた。貧民が群をなして米店を破壊したのである。同月二十日には江戸でも米屋こはしが起つた。赤坂から端緒を発して、破壊せられた米商富人の家が千七百戸に及んだ。次いで天保の飢饉になつても、天保七年五月十二日に大阪の貧民が米屋と富家とを襲撃し、同月十八日には江戸の貧民も同じ暴動をした。此等の貧民の頭の中には、皆未だ醒覚せざる社会主義があつたのである。彼等は食
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