切の事実を盛り込んで、矛盾が生じなければ、それで一切の事実が正確だと云ふことは証明せられぬまでも、記載の信用は可なり高まるわけである。私は敢《あへ》てそれを試みた。そして其間に推測を逞《たくまし》くしたには相違ないが、余り暴力的な切盛《きりもり》や、人を馬鹿にした捏造《ねつざう》はしなかつた。
――――――――――――――――――――[#直線は中央に配置]
私の「大塩平八郎」は一日間の事を書くを主としてはゐたのだが、其一日の間に活動してゐる平八郎と周囲の人物とは、皆それぞれの過去を持つてゐる。記憶を持つてゐる。殊《こと》に外生活だけを臚列《ろれつ》するに甘んじないで、幾分か内生活に立ち入つて書くことになると、過去の記憶は比較的大きい影響を其人々の上に加へなくてはならない。さう云ふ場合を書く時、一目に見わたしの付くやうに、私は平八郎の年譜を作つた。原稿には次第に種々な事を書き入れたので、啻《たゞ》に些《いさゝか》の空白をも残さぬばかりでなく、文字と文字とが重なり合つて、他人が見てはなんの反古《ほご》だか分からぬやうになつた。ここにはそれを省略して載せる。
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