がしら》五人、徒目付《かちめつけ》六人、平士《ひらざむらひ》九人、徒《かち》六人、小頭《こがしら》七人、足軽《あしがる》二百二十四人を率《ひき》ゐて入城する。其内に小筒《こづゝ》六十|挺《ちやう》弓二十|張《はり》がある。又|棒突足軽《ぼうつきあしがる》が三十五人ゐる。四箇所の加番を積算すると、上下の人数が千三十四人になる。定番以下の此人数に城代の家来を加へると、城内には千五六百人の士卒がゐる。
 定番、大番、加番の集まつた所で、土井は正《しやう》九つ時《どき》に城内を巡見するから、それまでに各《かく》持口《もちくち》を固めるやうにと言ひ付けた。それから士分のものは鎧櫃《よろひゞつ》を担《かつ》ぎ出す。具足奉行《ぐそくぶぎやう》上田五兵衛は具足を分配する。鉄砲奉行|石渡彦太夫《いしわたひこだいふ》は鉄砲玉薬《てつぱうたまくすり》を分配する。鍋釜《なべかま》の這入《はひ》つてゐた鎧櫃《よろひびつ[#「よろひびつ」はママ]》もあつた位で、兵器装具には用立たぬものが多く、城内は一方《ひとかた》ならぬ混雑であつた。
 九つ時になると、両|大番頭《おほばんがしら》が先導になつて、土井は定番《ぢやうばん》、加番《かばん》の諸大名を連れて、城内を巡見した。門の数が三十三箇所、番所の数が四十三箇所あるのだから、随分手間が取れる。どこに往つて見ても、防備はまだ目も鼻も開いてゐない。土井は暮《くれ》六つ時《どき》に改めて巡見することにした。
 二度目に巡見した時は、城内の士卒の外に、尼崎《あまがさき》、岸和田《きしわだ》、高槻《たかつき》、淀《よど》などから繰り出した兵が到着してゐる。
 坤《ひつじさる》に開《ひら》いてゐる城の大手《おほて》は土井の持口《もちくち》である。詰所《つめしよ》は門内の北にある。門前には柵《さく》を結《ゆ》ひ、竹束《たけたば》を立て、土俵を築き上げて、大筒《おほづゝ》二門を据《す》ゑ、別に予備筒《よびづゝ》二門が置いてある。門内には番頭《ばんがしら》が控へ、門外北側には小筒を持つた足軽百人が北向に陣取つてゐる。南側には尼崎から来た松平|遠江守忠栄《とほたふみのかみたゞよし》の一番手三百三十余人が西向に陣取る。略《ほゞ》同数の二番手は後にここへ参着して、京橋口に遷《うつ》り、次いで跡部《あとべ》の要求によつて守口《もりぐち》、吹田《すゐた》へ往つた。後に郡山《
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