けたので、堀は会所を出て、内平野町《うちひらのまち》で跡部に逢つた。そして二人相談した上、堀は跡部の手にゐた脇、石川、米倉の三人を借りて先手《さきて》を命じ、天神橋筋《てんじんばしすぢ》を南へ橋詰町《はしづめまち》迄出て、西に折れて本町橋《ほんまちばし》を渡つた。これは本町を西に進んで、迂廻《うくわい》して敵の退路を絶たうと云ふ計画であつた。併《しか》し一手《ひとて》のものが悉《ことごと》く跡《あと》へ/\とすざるので、脇等三人との間が切れる。人数もぽつ/\耗《へ》つて、本町堺筋《ほんまちさかひすぢ》では十三四人になつてしまふ。そのうち瓦町《かはらまち》と淡路町との間で鉄砲を打ち合ふのを見て、やう/\堺筋《さかひすぢ》を北へ、衝突のあつた処に駆け付けたのである。
跡部は堀と一しよに淡路町を西へ踏み出して見たが、もう敵らしいものの影も見えない。そこで本町橋の東詰《ひがしづめ》まで引き上げて、二|人《にん》は袂《たもと》を分ち、堀は石川と米倉とを借りて、西町奉行所へ連れて帰り、跡部は城へ這入《はひ》つた。坂本、本多、蒲生《がまふ》、柴田、脇|並《ならび》に同心等は、大手前《おほてまへ》の番場《ばんば》で跡部に分れて、東町奉行所へ帰つた。
九、八軒屋、新築地、下寺町
梅田の挽《ひ》かせて行く大筒《おほづゝ》を、坂本が見付けた時、平八郎はまだ淡路町二丁目の往来の四辻に近い処に立ち止まつてゐた。同勢は見る/\耗《へ》つて、大筒《おほづゝ》の車を挽《ひ》く人足《にんそく》にも事を闕《か》くやうになつて来る。坂本等の銃声が聞えはじめてからは、同勢が殆《ほとんど》無節制の状態に陥《おちい》り掛かる。もう射撃をするにも、号令には依らずに、人々《ひと/″\》勝手に射撃する。平八郎は暫《しばら》くそれを見てゐたが、重立《おもだ》つた人々を呼び集めて、「もう働きもこれまでぢや、好く今まで踏みこたへてゐてくれた、銘々《めい/\》此場を立《た》ち退《の》いて、然《しか》るべく処決せられい」と云ひ渡した。
集まつてゐた十二人は、格之助、白井、橋本、渡辺、瀬田、庄司、茨田《いばらた》、高橋、父|柏岡《かしはをか》、西村、杉山と瀬田の若党|植松《うゑまつ》とであつたが、平八郎の詞《ことば》を聞いて、皆顔を見合せて黙つてゐた。瀬田が進み出て、「我々はどこまでもお供をしますが、御趣意《ご
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