さんぺい》が、人夫を使つて取り賄《まかな》つてゐる。杉山は河内国《かはちのくに》衣摺村《きぬすりむら》の庄屋で、何か仔細《しさい》があつて所払《ところばらひ》になつたものださうである。手近な用を達《た》すのは、格之助の若党|大和国《やまとのくに》曾我村生《そがむらうまれ》の曾我|岩蔵《いはざう》、中間《ちゆうげん》木八《きはち》、吉助《きちすけ》である。女はうたと云ふ女中が一人、傍輩《はうばい》のりつがお部屋に附いて立《た》ち退《の》いた跡《あと》で、頻《しきり》に暇《いとま》を貰《もら》ひたがるのを、宥《なだ》め賺《すか》して引《ひ》き留《と》めてあるばかりで、格別物の用には立つてゐない。そこでけさ奥にゐるものは、隠居平八郎、当主格之助、賄方《まかなひかた》杉山、若党曾我、中間木八、吉助、女中うたの七人、昨夜の泊客八人、合計十五人で、其外には屋敷内の旧塾、新塾の学生、職人、人夫|抔《など》がゐたのである。
瀬田|済之助《せいのすけ》はかう云ふ中へ駆け込んで来た。
四、宇津木と岡田と
新塾にゐる学生のうちに、三年前に来て寄宿し、翌年一旦立ち去つて、去年再び来た宇津木矩之允《うつぎのりのすけ》と云ふものがある。平八郎の著《あらは》した大学刮目《だいがくくわつもく》の訓点《くんてん》を施《ほどこ》した一|人《にん》で、大塩の門人中学力の優《すぐ》れた方である。此宇津木が一昨年九州に遊歴して、連れて来た孫弟子がある。これは長崎|西築町《にしつきまち》の医師岡田|道玄《だうげん》の子で、名を良之進《りやうのしん》と云ふ。宇津木に連れられて親元を離れた時が十四歳だから、今年十六歳になつてゐる。
この岡田と云ふ少年が、けさ六つ半に目を醒《さ》ました。職人が多く入《い》り込《こ》むやうになつてから、随分騒がしい家ではあるが、けさは又格別である。がた/\、めり/\、みし/\と、物を打ち毀《こは》す音がする。しかと聴き定めようとして、床《とこ》の上にすわつてゐるうちに、今毀してゐる物が障子《しやうじ》襖《ふすま》だと云ふことが分かつた。それに雑《まじ》つて人声がする。「役に立たぬものは討《う》ち棄てい」と云ふ詞《ことば》がはつきり聞えた。岡田は怜悧《れいり》な、思慮のある少年であつたが、余り思ひ掛けぬ事なので、一旦夢ではないかと思つた。それから宇津木先生はどうしてゐ
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