スりしならず、起臥《おきふし》ごとに思ひ出でゝ、小尼公《アベヂツサ》にも語り聞せつ。されどチヲリ[#「チヲリ」に二重傍線]の避暑、御館にかへりて後の心の憂などは、我を妨げてカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]に來させざりしなり。家の見え初めてより、われは媼の歡び迎ふる詞を想像しつゝ、歩を早めたりしが、家の門近くなりては、又|跫音《きようおん》の疾く聞えんことを恐れて、ぬきあししつゝ進み寄りぬ。
門口より見るに、土間の中央に籘《とう》を折り加《く》べて火を燃やし、大いなる鐵の銚《なべ》を弔《つ》りたり。その下に火を吹く童ありて、こなたへ振り向くを見ればピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]なり。昔はわれ此童の搖籃を護りしことありしに、此頃はいと逞《たくま》しきものにぞなりぬる。聖《サン》ジユウゼツペ[#「ジユウゼツペ」に傍線]、檀那《だんな》の來ましつるよ、さきに來ましゝより早や久しくなり候ふとて、立ち上りて迎へぬ。わがさし伸ばす手に、童の接吻せんとするを遮りつゝ、われ、無面目《つれな》くも忘られしよとおもへるならん、忘れたるにはあらずとことわりつ。童。否、母もさは思ひ候はざりき、生存《ながら》へたらばいかに嬉しとおもふらんものを。われ。何とか言ふ。ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]は最早世にあらずとか。童。地の下に埋めてより、既に半年になりぬ。病みしは僅に二日ばかりなりしが、その間アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]とのみ呼び續け候ひぬ。わがかく檀那の御名《おんな》をいふを無禮《なめ》しとおもひ給ふな。母は唯一目アントニオ[#「アントニオ」に傍線]を見て死なんといひき。今宵はとおもはれし日の午過《ひるす》ぎて、われは羅馬の御館《みたち》に參りしに、檀那はチヲリ[#「チヲリ」に二重傍線]に往き給ひし後なりき。歸りて見れば、母は息絶えたり。言ひ畢《をは》りて、ピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]は手もて面を掩《おほ》ひぬ。
ピエトロ[#「ピエトロ」に傍線]が物語は、句ごとに言《ことば》ごとに、我胸を刺す如くなりき。恩情母に等しきドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]が、死に垂《なんな》んとして我名を呼びしとき、我は避暑の遊をなして、心のどかに日を暮しつ。媼の餘命いくばくもあらぬをば、われ爭《いか》でか知らざらん。何故に我はチヲリ[#「チヲリ」に二重傍線]に往くに先だちて、一たび媼の許には來ざりしぞ。我はかくても猶自ら辯護して、我は善き人ぞといはんとするか。
われは彼金包を取りいで、我身邊に帶び來りし錢をも添へて、悉く童に與へつ、童は土間に跪《ひざまづ》きて、我を天使と呼べり。我が爲めには此詞の嘲謔《てうぎやく》の意あるが如く聞えて、我は此|家《や》の内にあるに堪へず、一つの憂をもて來し身の、今は二つの憂を懷《いだ》きて、逃るが如く馳せ去りぬ。
未錬
カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野より御館までは、いかにして歸り着きけん知らず。われは限なき苦惱を覺えて、我|臥床《ふしど》の上に僵《たふ》れ臥しゝに、忽ち高熱を發して人事を知らざること三晝夜なりき。看病にはフエネルラ[#「フエネルラ」に傍線]とて、聾《みゝし》ひたる女を附けられしかば、幸に我|譫語《うはごと》も人に怪まるゝことあらざりしならん。されどフアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]公子の屡※[#二の字点、1−2−22]病床に來給ひぬといふは、猶胸苦しき心地ぞする。
我恢復は頗る遲かりき。館の人に見舞はるゝごとに、我は勉《つと》めて面を和《やはら》げ快《こゝろよ》げにもてなせども、胸の中の苦しさは譬へんに物無かりき。此間人々は一たびも小尼公《アベヂツサ》の名を我前に唱ふることなかりき。かくて小尼公の尼寺に入り給ひしより、六週の後となりし時、醫師《くすし》は始て我に戸外《とのも》を逍遙することを許しつ。
我は期《ご》する所あるに非ずして、ポルタ、ピア[#「ポルタ、ピア」に二重傍線]の傍に立ち、目を四井街《クワトロ、フオンタネ》の方に注ぎつ。されど我は猶心に憚《はゞか》りて、尼寺の門に到ることを果さゞりき。二三日の後、我は新月の光を趁《お》ひて、又同じところに來しに、こたびは自ら禁ずること能はずして、進みて灰色の寺壁の下に立ち、格子窓を仰ぎ視たり。我は自らことわりて、誰かわが此墳墓を展《み》るを難ずることを得んと云ひぬ。これよりして、我足は日として四井街に向はざることなく、偶※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》識る人に逢ふことあれば、散歩のゆくてはヰルラ、アルバニ[#「ヰルラ、アルバニ」に二重傍線]なりと欺《あざむ》きつ。
我足の尼寺の築泥《ついぢ》の外に通ふこと愈※[#二の字点、1−2−22]繁く、我情の迫ること愈※[#二の字点、1−2−22]切に、われはこの通路《かよひぢ》の行末いかになるべきかを危《あやぶ》まざること能はざるに至りぬ。果せる哉、ある暗き夕我が尼寺の一窓の微《かすか》に燈光を洩せるを仰ぎ見て、心に小尼公をおもふ時、忽ち傍よりアントニオ[#「アントニオ」に傍線]と呼ぶものあるを聞きつ。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、おん身はこゝに何をか爲せる。我は頭《かうべ》を囘《めぐら》して公子の面を認め得たり。公子は直ちに我を促して共に歸りぬ。公子は途上復たわれと一語を交へざるに、われは心に公子の思はん程の恥かしくて、その面を見ることを敢てせざりき。我室に入りて相對せる時、公子容《かたち》を改めて宣給ふやう。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ。御身の病はまだ痊《い》えずと覺し。少しく世の人に立ち交りて、氣鬱を散ぜんかた、身の爲めに宜しからん。曩《さき》にはおん身一たび翼を張りて飛ばんとせしを、われ強ひて抑留し、おん身をして久しく樊籠《はんろう》の中にあらしめき。そは我過《あやまち》にはあらざりしか。人各※[#二の字点、1−2−22]意志あり。行かんと欲するところに行き、住《とゞ》まらんと欲するところに住まりて、さて不幸に遭《あ》はば、そは自ら作《な》せるなれば、悔ゆることもあらざるべし。おん身は最早童にあらねば、人の監督を受くることをば喜ばざるべし。この頃|醫師《くすし》に謀《はか》りしに、これも轉地を勸めたり、拿破里《ナポリ》の方《かた》をば既に見つれば、こたびは北伊太利を見に往けかし。一とせの間の費《つひえ》をば、われいかにともすべし。此館にありし間の我等の待遇には、おん身は或は慊《あきたら》ざりしならん。されど又世間に出でゝは、誠の心もておん身を待つ人少きことを忘れ給ふな。われ等は未來|一年《ひとゝせ》の間のおん身の振舞を見て、過去の我等の待遇のおん身に利ありしか利あらざりしかを驗《ため》すべしといはれぬ。
公子は我答を待たずして室を出で給ひぬ。こは我に謀るにあらずして我に命ずるものなればなり、我に命ずるは我を逐《お》ふものなればなり。世途は艱難ならん。されどその我を毒すること今の生涯に孰與《いづれ》ぞ。今や公子はわれに自由を與へ給ふ。こは仙方なり、靈藥なり。われは只だその仙方靈藥の劇毒の如く我創痍を刺し、我に苦痛を與ふるを感ずるのみ。去らんかな、羅馬を去らんかな。いでや、記念《かたみ》の花の匂へる南國を出でゝ、アペンニノ[#「アペンニノ」に二重傍線]の山を踰《こ》え、雪深き北地に入らん。アルピイ[#「アルピイ」に二重傍線]おろしの寒威は、恰も好し、我が沸《わ》きかへる血を鎭むるならん。いでや浮島のヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に往かん、わたつみの配《つま》てふヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に往かん。神よ、我をして復た羅馬に歸らしむること勿《なか》れ、我記念の墳墓を訪《とぶら》はしむること勿れ。さらば羅馬、さらば故郷《ふるさと》。
梟首《けうしゆ》
車は物寂《ものさ》びたるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野を走りぬ。サン、ピエトロ[#「サン、ピエトロ」に傍線]の寺塔は丘陵のあなたに隱れぬ。既にして我はモンテ、ソラクテ[#「モンテ、ソラクテ」に二重傍線]の側を過ぎ、山を踰《こ》えてネピ[#「ネピ」に二重傍線]の市《まち》に入りぬ。明月は市の狹き巷《ちまた》を照せり。一僧の酒肆《オステリア》の前に立ちて説法するあり。群衆は活聖《ヰワ、サンタ》マリア[#「マリア」に傍線]の聲に和しつゝ僧に隨ひて去れり。われはこれを避けて歩を轉ぜり。蔦蘿《つたかづら》に包まれたる水道の址《あと》とこれを圍める橄欖《オリワ》の茂林とは、黯澹《あんたん》たる一幅の圖をなして、わが刻下の情に※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》へり。われは又前《さき》に過ぎたる門を出でたり。門外に大廢屋あり。その城壘《じやうるゐ》たりしと寺觀たりしとを知らず。今の街道はその廣間を貫きて通ぜり。側《かたへ》なる細徑を下れば、小房の蜂※[#「穴/果」、第3水準1−89−51]《ほうくわ》の如きありて、常春藤《きづた》と石長生《はこねさう》とは其壁を掩ひ盡せり。進みて一の廣間に入るに、地に委《ゆだ》ねたる石柱の頭と瓦石の堆《たい》とは高草の底に沒し、こゝかしこに色硝子《いろガラス》の斷片を留めたる尖弧《ゴチツコ》式の窓をば幅廣き葡萄の若葉物珍らしげにさし覗き、數丈の高さなる墻壁《しやうへき》の上には荊棘《けいきよく》叢《むらが》り生ぜり。偶※[#二の字点、1−2−22]月光の一の壁面を照すを見れば、半ば剥蝕《はくしよく》せられたる鮮畫《フレスコ》は、箭《や》に貫《つらぬ》かれたる聖《サン》セバスチアノ[#「セバスチアノ」に傍線]の像を物せり。此廣間は絶えず遠雷の如き響ありて、四壁に反響す。われその響を追ひて狹き戸を濳り出でしに、道は「ミユルツス」と葡萄との鬱茂せる間に窮まりて、脚底|千仞《せんじん》の斷崖を形づくれり。一の瀑布ありてこれに懸る。月光其泡沫を射て、銀丸を擲《なげう》つ如し。凡そ此等の景は、なべて世の好奇心あるものを動かすに足るものなるべし。されど富時の我の憂愁に沈める、或は等閑に看過したらんも知るべからず。幸に我は此境に在りて、別に一事に遭ひたり。我は其事を我心上に血書して復た消滅すべからざらしめしが故に、亦併せて此景の詳《つばら》なることを記し得たり。
崖に沿ひて一條《ひとすぢ》の細徑《ほそみち》あり。迂※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して初の街道に通ず。われは高萱《たかがや》を分け小草《をぐさ》を踏みて行きしに、月は高き石垣の上を照して、三人《みたり》の色蒼ざめたる首《かうべ》の、鐵格の背後《うしろ》より、我を覗《うかゞ》ふを見たり。こは山賊を梟《けう》せるなりき。ネピ[#「ネピ」に二重傍線]の人の此壁上に梟首するは、羅馬の人のアンジエロ[#「アンジエロ」に傍線]門(ポルタ、デル、アンジエロ)の上に梟首するに殊ならず。首を鐵籠中に置くことはた同じ。常の我ならば、遠く望みて走り去るべきに、此頃の痛苦は我に哲學思想を與へ、我をして冷眼もてこれを視ることを敢てせしめき。嗚呼、王侯の前に屈せざりし首よ、人を殺し火を放つ計《はかりごと》を出しゝ首よ、深山《みやま》の荒鷲に似たる男等の首よ。今は靜に身を籠中に托すること、人に馴れたる小鳥の如し。近づくこと一歩にして見れば、刎《は》ねられてよりまだ日を經ざるものと覺しく、鬚眉《しゆび》猶生けるがごとし。既にして我は中央なる首級の少しく異なるものあるを認め得たり。こは分明《ぶんみやう》に老女《おうな》の首なりしなり。我はこの褐《かち》いろの顏、半ば開ける※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》、格子の外に洩れ出でゝ風に亂るゝ銀髮を凝視して、我脈搏の忽ち亢進するを覺えき。われは眼を壁に懸けたる石版に注げり。版には土地《ところ》の習にて、梟せられたるものゝ氏名と其罪科とを彫《ゑ》りたり。果せるかな、中央に老女フルヰア[#「フルヰア」に傍線]、フラスカアチ[#「フラスカアチ」に二重傍線]の産と記せり。
前へ
次へ
全68ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング