アとにおん身の爲めの守護神なるべし。おん身の靈の天上に在らん時、先づ來りて相見んものはララ[#「ララ」に傍線]ならずして誰ぞやと宣給ひぬ。
 サンタ[#「サンタ」に傍線]をば姫いたく怖れ給ひて、燃ゆる山、闊《ひろ》き海の景色はいかに美しからんも、かゝる怖ろしき人の住める地に往かんことは、わが願にあらず、おん身の恙《つゝが》なかりしは、聖母《マドンナ》の御惠なりと宣給ふ。われは此詞を聞きて、さきに包み藏《かく》して告げざりしサンタ[#「サンタ」に傍線]との最後の會見の事を憶ひ起しつ。現《げ》に我頭を撃《う》ちて我夢を醒ましゝは、尊き聖母の御影なりき。姫若しわが當時の惑を知らば、猶我に許すに善人をもてすべしや否や。我肉身の弱きことは、よその男子に殊ならざりしなり。姫は又我に迫りて、嘗て即興詩人として劇場に上りし折の事を語らしめ給ひぬ。山深き賊寨《ぞくさい》にて歌はんは易く、大都の舞臺にて歌はんは難かるべしとは、姫の評なりき。われは行李を探りて、かの拿破里《ナポリ》日報を出して姫に見せつ。姫は先づ當時の評語を讀みて、さて知らぬ都會の新聞紙のいかなる事を載せたるかを見ばやとて、あちこち翻《ひるがへ》し見給ひしが、忽ち我面を仰ぎ視て、おん身はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の同じ時ナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]に在りしをば、まだ我に告げ給はざりきと宣給ふ。われはこの思ひ掛けぬ詞に、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の爭《いか》でかとつぶやきつゝ、彼新聞紙に目を注ぎつ。われは此一|枚《ひら》の紙を手にとりしこと幾度なるを知らねど、いつも評語をのみ讀みつれば、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の事を書ける雜報あるには心付かざりしなり。
 姫の指ざし給ふ雜報には、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]明日登場すべしとあり。その明日といへるは即ち我が拿破里を發せし日なり。われは姫と目を見合せて、暫くはものいふこと能はざりき。既にして我は纔《わづか》に口を開き、さるにても我が再び面をあはせざりしは、せめてもの幸なりきといひぬ。姫。さは宣給へど、今其人に逢ひ給はゞいかに。定めて喜ばしと思ひ給ふならん。われ。否、われは悲しと思ふべし。そを何故といふに、わが昔崇拜せしアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は今|亡《う》せたり、昔の理想の影は今消えぬ、わがこれを思ふは泉下の人を思ふ如し、さるを若しそのアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]ならぬアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]又出でゝ、冷なる眼もて我を見ば、※[#「やまいだれ+差」、第4水準2−81−66]《い》えなんとする心の創は復た綻《ほころ》びて、却りてわれに限なき苦痛を感ぜしむるなるべし。
 いと暑き日の午後《ひるすぎ》、われは共同の廣間に出でしに、緑なる蔓草の纏ひ付きたる窓櫺《さうれい》の下に、姫の假寢《うたゝね》し給へるに會ひぬ。纖手《せんしゆ》もて頬《ほ》を支へて眠りたるさま、只だ戲《たはぶれ》に目を閉ぢたるやうに見えたり。胸の波打つは夢見るにやあらん。忽ち微笑の影浮びて、姫の眠は醒めぬ。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]そこにありや。われは料《はか》らずも眠りて、料らずも夢見たり。おん身はわが夢に見えしは何人の上なりとかおもふ。われ。ララ[#「ララ」に傍線]にはあらずや。この答はわが姫の目を閉ぢたるを見し時、心に浮びし人を指《さ》して言へるのみなりしに、期《ご》せずして中《あた》りしなり。姫。さなり。われはララ[#「ララ」に傍線]と共に飛行して、大海の上を渡りゆきぬ。海の中には一の島山《しまやま》ありき。その山の巓はいと高きに、われ等は猶おん身の物思はしげなる面持して石に踞して坐し給ふを見ることを得つ。ララ[#「ララ」に傍線]は翼を振ひて上らんとす。われはこれに從はんとして、羽搖《はたゝき》するごとに後《おく》れ、その距離|千尋《ちひろ》なるべく覺ゆるとき、忽ち又ララ[#「ララ」に傍線]とおん身との我側にあるを見き。われ。そは死の境界《きやうがい》なるべし。生きて千里《ちさと》を隔つるものも、死しては必ず相逢ふ。死は惠深きものにて、我に我が愛するところのものを與ふ。姫。われは遠からず尼寺に歸らんとす。これより後の我生涯は、おん身の爲めには死せると同じ。おん身は能く我を忘れずして、死後相見んことを期し給はんや。姫の此詞はいたく我心を動して、我をして輒《すなは》ち答ふること能はざらしめき。
 ある日フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]夫人は姫を伴ひてヰルラ、デステ[#「ヰルラ、デステ」に二重傍線]の園の中をそゞろありきし給へり。我も亦許されてその後《しりへ》に從ひぬ。園は高き絲杉あるをもて世に聞えたるところなり。一行の人工の噴泉ある長き街※[#「木+越」、第3水準1−86−11]《なみき》の間を歩むとき、路上に襤褸《ぼろ》を纏《まと》ひたる貧人の群の草を拔くありき。われそが一人に「パオロ」銀一箇(我二十錢餘)を與へしに、姫もまた微笑みつゝ一箇を與へ給ひぬ。草拔く人は、美しき姫君と壻君《むこぎみ》とに聖母《マドンナ》の御惠あれかしと呼びたり。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]夫人はこれを聞きて高く笑へり。われは熱血の身を焦すを覺えて、姫の面を覗ふことを敢てせざりき。われは今明に姫の我が爲めに離れ難き人となりしを覺りぬ。されど此情は嘗てアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の爲に發せしと※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に殊にて、又ララ[#「ララ」に傍線]に對して生ぜしとも同じからず。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の才《ざえ》と色とは殆ど我をして狂せしめ、ララ[#「ララ」に傍線]の理想めきたる美は魔力を吾頭上に加へ、並に皆我をしてその人を我物にせん願を起さしめしなり。獨り小尼公《アベヂツサ》に至りては、我友情を催すこと極て深きに、われは却《かへ》りて又我慾念のこれが爲めに抑へらるゝを覺えき。
 幾《いくばく》もあらぬに我等は又羅馬に歸りぬ。姫は二三週の後には尼寺に返り給ふべく、返り給ひては直ちに覆面の式を行はせらるべしと傳ふ。姫の長き髮はこれを截《き》り、その身には生きながら凶衣を被らしめ、輓歌《ばんか》を歌ひ鯨音《かね》を鳴し、法《かた》の如く假に葬《はうむ》りて、さて天に許嫁《いひなづけ》せる人となりて蘇生せしむ。是れ式のあらましなり。姫は面に喜の色を湛へてこれを語りぬ。われは聞くに忍びずして、いかなれば君は自ら壙穴《つかあな》を穿《うが》ちて自ら下り入らんとはし給ふぞといひぬ。姫は色を正して、さる詞を人にな聞せそ、此塵の世に心|牽《ひ》かるゝことおん身の如くならんも拙《つたな》し、少しは後の世の事をも思へかしと宣給ふ。その聲音《こわね》さへ常ならぬに我はいたく驚きぬ。霎時《しばし》ありて、姫は詞の過ぎたるを悔み給ひしにや、面に紅を潮して我手を取り、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]とても我心の平和を破り、我に要《えう》なき物思せさせんとにはあらざるべしと宣給ふ。我は詞なくて姫の金蓮の下に臥し轉《まろ》びつ。
 別《わかれ》の舞踏會は御館《みたち》にて催されぬ。われは姫の最後に色ある衣《きぬ》を着け給ふを見き。是れ人々の生贄《いけにへ》の羔《こひつじ》を飾れるなり。姫は我傍に歩み寄りて、おん身も人々の歡《よろこび》を分ち給はずや、われ若しおん身の憂はしき面を見て別れ去らば、尼寺に入りて後に屡※[#二の字点、1−2−22]御身の上を氣づかふならん、かくてはおん身我に罪障を増させ給ふなりと宣給ふ。其聲は我が爲めに、瀕死の人の氣息を聞くが如くなりき。
 出立ち給ふ前の日の夕となりぬ。姫は神色常の如く、父君と老侯とに接吻して、あすの別の事を語り給ふ。其詞つきの、唯だ假初《かりそめ》の旅路|抔《など》に出立《いでた》ち給ふにかはらぬぞ、なか/\に哀なりける。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]に暇乞《いとまごひ》せずやといふは、フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]公子の聲なり。坐上にて、獨り此君のみは面に憂の色を帶び給へり。我は趨《はし》りて姫の前に出で、白く細き右手に接吻せり。姫はアントニオ[#「アントニオ」に傍線]と我名を呼び掛け給ひしが、流石にしばし口籠《くごも》りて、世に幸《さち》ある人となり給へ、さらばとて、我額に接吻し給ふ。われは夢心に其間を走り出でゝ、我室に泣きに入りぬ。
 終にその日とはなりぬ。空は晴れ渡りて、日は麗《うらゝ》かに照りぬ。我は父君母君の盛妝《せいさう》せる姫を贄卓《にへづくゑ》の前に導き行き給ふを見、歌頌の聲を聞き、けふの式を拜まんとて來り集へる衆人の我|四邊《めぐり》を圍めるを覺えき。されど僧徒の群に引かれてつくゑの前に跪き給へる、天使の如き姫君の、色白く優しげなる面のみは、我心の上に殊に明かなる印象を與へて、年經ての後も消ゆることなかりき。我は僧等の姫が頭上の紗《うすぎぬ》を剥《は》ぎて、雲の如き※[#「髟/丐」、第4水準2−93−21]髮《ひんぱつ》の亂れ墜《お》ちて兩の肩を掩《おほ》へるを見、これを斷つ剪刀《はさみ》の響を聞きつ。僧等は幾|襲《かさね》の美しき衣を脱がせて、姫を柩《ひつぎ》の上に臥させまつり、下に白き希《きれ》を覆ひ、上に又|髑髏《どくろ》の文樣《もんやう》ある黒き布を重ねたり。忽ち鐘の音聞えて、僧等の口は一齊に輓歌《ばんか》を唱へ出しつ。かくて姫は此世を隱れましゝなり。爾來《そのとき》尼院に連《つらな》れる廊道《わたどのみち》の前なる黒漆の格子|擧《あが》りて、式の白衣を着たる一群の尼達現れ、高く天使の歌を歌ふ。僧官《エピスコポス》は姫の手を取りて扶《たす》け起しつ。姫は早や天に許嫁《いひなづけ》し給ひて、御名さへエリザベツタ[#「エリザベツタ」に傍線]と改まりぬ。我は姫の群集の上に投じ給ふ最後の一瞥を望み見たり。一人の故參の尼は姫の手を引きて入りぬ。黒漆の格子は下りて、姫の姿、姫の裳裾《もすそ》は見えずなりぬ。

   なきあと

 ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]家の館《たち》は賀客|絡繹《らくえき》たり。エリザベツタ[#「エリザベツタ」に傍線]の天に許嫁せしを賀するなり。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]夫人は面に微笑を浮べて客に接し給へど、その良心のまことに平なるにあらざるをば、われ猶《なほ》能くこれを知れり。
 フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]公子は我を招きて一包の金を賜《たま》ひぬ。汝は好き方人《かたうど》を失ひぬれば、氣色すぐれず見ゆるも理《ことわり》なきにあらず。姫は我に此金を殘しおきて、カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の媼《おうな》に與へんことを頼み聞えぬ。想ふに姫はドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]の上を汝に聞きて知りたりしならん。持ち往きて與へよとなり。
 死は蛇の如く我心を纏へり。我は自殺の念の一種の旨味《うまみ》あるを覺えて、心に又此念の生じ來れるを怖れたり。御館の廣き間ごと間ごとに、我はうらさびしき空虚を感ぜり。我はこゝを出でゝカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野に往かんことの樂しかるべきをおもひぬ。そは我搖籃のありつる處、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]が子もり歌の響きし處の、今更に懷《なつか》しき心地したればなり。
 カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の廣き野は、この頃の暑さに焦げ爛《たゞ》れて、些《いさゝか》の生氣をだに留めざりき。黄なるテヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]の流の、層々の波を滾《まろが》し去るは、そをして海に沒せしめんが爲めなるべし。われは又|蔦蘿《つたがづら》の壁にまとひ屋根にまとへる、小さなる石屋《いはや》を見たり。是れ實にわが少時の天地なりしなり。門の戸は開けり。われは媼の我を見て喜ぶべきを思ひて、胸に樂しく又哀なる一種の感を起しつ。先に此家をおとづれてより、早や一とせを經ぬ。先に羅馬にて彼媼を見しより、早や八月を經ぬ。此間われは媼を忘れ
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