黷ホ、媼の手に接吻せんとせしに、媼は肩に手を掛け、額髮おし上げて、冷なる唇を我額に當てたり。
老夫は鞭を驢《うさぎうま》に加へて、おのれもひたと引き添ひつゝ、暗き徑《みち》を馳《は》せ出せり。われは猶媼の一たび手もて揮《さしまね》くを見しが、その姿忽ち重《かさな》る梢に隱れぬ。心細さに馬夫《まご》に物言ひ掛くれば、聞き分き難き聲立てゝ、指を唇に加へたり。さては※[#「やまいだれ+音」、第3水準1−88−52]《おし》なるよと思ひぬ。いよ/\心もとなくて媼の授けし裹《つゝ》み引き出すに、種々の書《かき》ものありと覺ゆれど、夜暗うして一字だに見え分かず。兎角して曉がたになりぬ。路は山の脊に出でゝ、裸なる巖には些《すこし》許りなる蔓草《つるくさ》纏ひ、灰色を帶びて緑なる亞爾鮮《アルテミジア》の葉は朝風に香を途りぬ。空には星猶輝けり。脚下には白霧の遠く漂へるを見る。是れ大澤《たいたく》の地なり。此澤はアルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]山下に始まりて、北ヱルレトリ[#「ヱルレトリ」に二重傍線]より南テルラチナ[#「テルラチナ」に二重傍線]に至る。馬夫のしばし歩を留めし時、われは仰いで青空の漸
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