ネき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなり勝《まさ》りぬ。忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を囘しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣《ねまき》纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は猶四五尺許なる籘《とう》の竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高く翳《かざ》せり。彼の紛※[#「巾+兌」、56−下段−12]《てふき》結びたる竿の長《たけ》足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は又娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なく「コンフエツチイ」の霰《あられ》を迸《ほとばし》らせたり。われはこれをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘はあなやと叫び、男は石膏の丸《たま》を放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿を撓《たわ》ませんとせしに、竿は半ばよりほきと折れて、燭の束《たば》ははたと落つ。群衆は喝采せり。娘はアントニオ[#「アントニオ」に傍線]、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有ら
前へ
次へ
全674ページ中230ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング