て、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母《マドンナ》のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのほ》の上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるを承《う》けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、方《けた》なる形に作りたる圓柱の廊なりき。廊に圍まれたるは小《ちさ》き馬鈴藷圃《ばれいしよばたけ》にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬《リモネ》の木一株立てりき。開《あ》け放ちたる廊には世を逝《みまか》りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には獻身者の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロ[#「ラフアエロ」に傍線]、アンドレア・デル・サルトオ[#「アンドレア・デル・サルトオ」に傍線]が作を觀る心におなじかりき。
僧はそちは心|猛《たけ》き童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊《わたどの》より二三級低きところなりき。われは延《ひ》かれて級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏《どくろ》なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多《あまた》の小龕《せうがん》に分れたり。おほいなる龕には頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には褐色の尖帽を被《き》せて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓《にへづくゑ》、花形《はながた》の燭臺、そのほかの飾をば肩胛《かひがらぼね》、脊椎《せのつちぼね》などにて細工したり。人骨の浮彫《うきぼり》あり。これのみならず忌まはしくも、又趣なきはこゝの拵へざまの全體なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へ畢《をは》りていふやう。われも早晩《いつか》こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚き※[#「目+台」、第3水準1−88−79]《み》たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる業《わざ》なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしとき纔《わづか》に生き返りたるやうな
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