宴cツオオ、ドテルロ)なるを告げたり。オテルロ[#「オテルロ」に傍線]とは彼シエエクスピイア[#「シエエクスピイア」に傍線]の戲曲ヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の黒人の主人公にして、市長の家は其舊館なれば、英吉利人は此地に來る毎に必ずこれを尋ぬること、マルクス[#「マルクス」に傍線]寺又は武庫に殊ならずといふ。
 市長の一家は歡びて我を迎へ、主人の妹なるロオザ[#「ロオザ」に傍線]夫人は、亡弟の記念《かたみ》と拿破里の繁華とを語りて、我に再遊の願の甚だ切なるを告げ、主人の姪なるマリア[#「マリア」に傍線]は我をして復たララ[#「ララ」に傍線]の姿を見、フラミニア[#「フラミニア」に傍線]の才《ざえ》を見る心地せしめき。マリア[#「マリア」に傍線]とララ[#「ララ」に傍線]との相|肖《に》たるは驚くべき程なり。さるにても身に襤褸《ぼろ》を纏ひて、髮に一束の董花《すみれ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]みし乞丐《かたゐ》の女の、能くヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]第一の美人と美を※[#「女+貔のつくり」、138−上段−6]《なら》ぶるこそ不思議なれ。是より我は頻りに此家に往來して、ロオザ[#「ロオザ」に傍線]夫人の爲めにダンテ[#「ダンテ」に傍線]の神曲、アルフイエリ[#「アルフイエリ」に傍線]、ハコリイニイ[#「ハコリイニイ」に傍線](並に詩人の名)等の集を朗讀せり。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]もわが紹介によりて市長の常の客となることを得たり。
 即興詩人としての我名は漸くヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の都に傳はり、美術會院(アカデミア、デル、アルテ)は一日我を招きて技を奏せしめき。われはダンドロ[#「ダンドロ」に傍線]のコンスタンチノポリス[#「コンスタンチノポリス」に二重傍線]征服とマルクス[#「マルクス」に傍線]寺の銅馬《どうめ》とを題として即興の詩を歌ひ、會員證を授與《さづ》けられたり。(ダンドロ[#「ダンドロ」に傍線]はヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の大統領《ドオジエ》なりき。千二百三年コンスタンチノポリス[#「コンスタンチノポリス」に二重傍線]を征服す。即ち所謂第四次十字軍なり。)されどその頃我は別に一物の此會員證より貴きものを得つ。そは極めて細かなる貝を絹紐もて貫きたる瓔珞《くびたま》な
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