tは深く烟霧の裏《うち》に隱れて、われに送別の意を表せんともせざる如し。是日《このひ》海原はいと靜にして、又我をして洞窟と瞽女《ごぜ》との夢を想はしむ。嗚呼《あゝ》、此拿破里の市も、今よりは同じ夢中の物となり了《をは》るならん。
房奴《カメリエリ》はけふの拿破里日報(ヂアリオ、ヂ ナポリ)を持ち來りぬ。披《ひら》きて見れば、我《わが》假名《けみやう》あり。さきの日の初舞臺の批評なりき。いかなる事を書けるにかと、心|忙《せは》しく讀みもて行くに、先づ空想の贍《ゆたか》にして、章句の美しかりしを稱《たゝ》へ、恐らくは是れパンジエツチイ[#「パンジエツチイ」に傍線]の流を酌《く》めるものにて、摸倣の稍※[#二の字点、1−2−22]甚しきを嫌ふと斷ぜり。パンジエツチイ[#「パンジエツチイ」に傍線]といふ人はわれ夢にだに見しことあらず。われは唯だ我天賦の情に本《もと》づきて歌ひしなり。想ふに彼批評家といふものは、おのれ常に摸擬の筆を用ゐるより、人の藝術も亦|然《しか》ならんと思へるにやあらん。末の方には例に依りて、奬勵の語を添へたり。いはく。此人終に名を成すべき望なきにあらず、今の見る所を以てするも、猶非凡なる材能たることを失はざるべし、空想感情靈應の諸性具備したりと見ゆればなりとあり。此評は惡しき方にはあらねど、當日の公衆の喝采に比ぶるときは、その冷かなること著《いちじる》しとおもはる。われは此新聞紙を疊みて行李の中に藏《をさ》めたり。そは他年わが拿破里の遭遇の悉く夢ならぬを證せん料《しろ》にもとてなり。嗚呼、われ拿破里を見たり、拿破里の市を彷徨《はうくわう》せり。わが得しところそも幾何《いくばく》ぞ、わが失ひしところはたそも幾何ぞ。知らず、フルヰア[#「フルヰア」に傍線]の預言は既に實現し盡せりや否や。
われ等は拿破里を出立《いでた》ちたり。葡萄栽ゑたる丘陵は見る/\烟雲の間に沒せり。一行は羅馬に向ひて行くこと四日なりき。わが行くところの道は、二月の前にフエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]、サンタ[#「サンタ」に傍線]の二人と與《とも》に行きし道なりき。モラ[#「モラ」に二重傍線]の旅亭に來て見れば、柑子の林は今花の眞盛なり。われは再び我《わが》祕言《ひめごと》をサンタ[#「サンタ」に傍線]に偸《ぬす》み聽かれし木蔭に立寄りたり。人の離合聚散の測り難きこと、また今更に
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