tには候はずやと云へば、夫人、見よ、雲は今「フエリチツシイマ、ノツテ」(幸ある夜を祈る)を言ふ時ぞ、と山嶽の方を指ざし給ふ。橄欖《オリワ》の林に隱顯せる富人の別業《べつげふ》の邊よりは※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に高く、二塔の巓を摩する古城よりは又※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]に低く、一叢《ひとむら》の雲は山腹に棚引きたり。われ。彼雲の中に棲《す》みて、大海の潮《しほ》の漲落《みちひ》を觀ばや。夫人。さなり。かしこに住みて即興詩を吟ぜよ。唯だ聽くものなきが恨なるべし。われ。のたまふ如く、其恨は思ひ棄て難し。詩人の喝采を受くるは草木の日光を受くると同じ。囹圄《ひとや》のタツソオ[#「タツソオ」に傍線]が身を害《そこな》ひしは、獨り戀路の關を据ゑられしが爲めのみにあらず。その詩の爲めに知音《ちいん》を得ざるを恨みしが爲めなり。夫人。われは今おん身が上を語れり。タツソオ[#「タツソオ」に傍線]が事を言はず。われ。タツソオ[#「タツソオ」に傍線]は詩人なり。されば好き例《ためし》と思ひて引き出でしまでに候ふ。夫人。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ、さてはおん身は自ら詩人なりと許す心あるにやあらん。我上を語らんときは、不朽の業《わざ》ある人の名をば呼ばぬぞ好き。おん身は物に感動し易き情ありて、又能くさる情を解するより、直ちに己れの詩人たるを信ぜんとするならん。そは世間幾多の人の具ふる所にして、又能くする所なり。これに惑ひて徒《いたづ》らに思ひ上がりなどせば、生涯の不幸となるべきものぞといふ。われは面の火の如くなれるを覺えて、仰せはさる事ながら、わが自ら深く信ずるところをば包まで申すを聞き給へ、「サン、カルロ」座なる數千の客は我に何の由縁《ゆかり》もなきに、口を齊《ひとし》うして喝采したり、われは惠深き君の我喜を分ち給はんことを忖《はか》りしにと答へたり。夫人。おん身の友は多かるべし。されどまことにおん身の喜を分たんもの我が如きは少からん。おん身の情に厚きこと、心ざまの卑からぬことは、我等よく知りたり。さればこそをぢ君の御腹立をも申解《まうしと》かばやとさへ思ふなれ。おん身には好き稟賦《ひんぷ》あり。學ばゞ一廉《ひとかど》の人物ともなるらん。されど今の儘にては、その才僅かに坐客の耳を悦ばしむるに足りて、未だ世に立
前へ
次へ
全337ページ中218ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング