る IMPROVISATOREN《イムプロヰザトオレン》 の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須《もち》ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午《うげきばうご》の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。
大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]譯者又識す
わが最初の境界
羅馬《ロオマ》に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニ[#「ピアツツア、バルベリイニ」に二重傍線]を知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトン[#「トリイトン」に傍線]の神の像に造り做《な》したる、美しき噴井《ふんせい》ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエ[#「ヰア、フエリチエ」に二重傍線]の角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋《ひ》の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常《よのつね》ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。首《かうべ》を囘《めぐら》してわが穉《をさな》かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ/\なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて爲《せ》むすべを知らず。又我世の傳奇《ドラマ》の全局を見わたせば、われはいよ/\これを寫す手段に苦《くるし》めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人《よそびと》のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語《をさなものがたり》をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性《さが》のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子《かいし》の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣
前へ
次へ
全337ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング