窓の障子かも知れないわ。表の手水場のは硝子《ガラス》戸だけれども、裏のは紙障子だわね。」
「そうでしょうか。いやあねえ。わたしもう手水なんか我慢して、二階へ帰って寝ようかしら。」
「馬鹿な事をお言いでない。わたしそんなお附合いなんか御免だわ。帰りたけりゃあ、花ちゃんひとりでお帰り。」
「ひとりではこわいから、そんなら一しょに行ってよ。」
二人は又歩き出した。一足歩くごとに、ひゅうひゅうと云う音が心持近くなるようである。障子の穴に当たる風の音だろうとは、二人共思っているが、なんとなく変な音だと云う感じが底にあって、それがいつまでも消えない。
お花は息を屏《つ》めてお松の跡に附いて歩いているが、頭に血が昇って、自分の耳の中でいろいろな音がする。それでいて、ひゅうひゅうと云う音だけは矢張際立って聞えるのである。お松も余り好い気持はしない。お花が陽にお松を力にしているように、お松も陰にはお花を力にしているのである。
便所が段々近くなって、電灯の小さい明りの照し出す範囲が段々広くなって来るのがせめてもの頼みである。
二人はとうとう四畳半の処まで来た。右手の壁は腰の辺から硝子戸になっている
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