くり島田髷《しまだまげ》を擡げたのは、新参のお花と云う、色の白い、髪の※[#「糸+求」、第4水準2−84−28]《ちぢ》れた、おかめのような顔の、十六七の娘である。
「来るなら、早くおし。」お松は寝巻の前を掻き合せながら一足進んで、お花の方へ向いた。
「わたしこわいから我慢しようかと思っていたんだけれど、お松さんと一しょなら、矢っ張行った方が好《い》いわ。」こう云いながら、お花は半身起き上がって、ぐずぐずしている。
「早くおしよ。何をしているの。」
「わたし脱いで寝た足袋を穿《は》いているの。」
「じれったいねえ。」お松は足踏をした。
「もう穿けてよ。勘辨して頂戴、ね。」お花はしどけない風をして、お松に附いて梯子を降りて行った。
 便所は女中達の寝る二階からは、生憎《あいにく》遠い処にある。梯子を降りてから、長い、狭い廊下を通って行く。その行き留まりにあるのである。廊下の横手には、お客を通す八畳の間が両側に二つずつ並んでいてそのはずれの処と便所との間が、右の方は女竹《めだけ》が二三十本立っている下に、小さい石燈籠《いしどうろう》の据えてある小庭になっていて、左の方に茶室|賽《まが》いの四畳半があるのである。
 いつも夜なかに小用に行く女中は、竹のさらさらと摩《す》れ合う音をこわがったり、花崗石《みかげいし》の石燈籠を、白い着物を着た人がしゃがんでいるように見えると云ってこわがったりする。或る時又用を足している間じゅう、四畳半の中で、女の泣いている声がしたので、帰りに障子を開けて見たが、人はいなかったと云ったものがある。これは友達をこわがらせる為めに、造り事を言ったのであるが、その話を聞いてからは、便所の往《ゆ》き返りに、とかく四畳半が気になってならないのである。殊に可笑しいのは、その造り事を言った当人が、それを言ってからは四畳半がこわくなって、とうとう一度は四畳半の中で、本当に泣声がしたように思って、便所の帰りに大声を出して人を呼んだことがあったのである。

      *     *     *

 お金は二人が小用に立った跡で、今まで気の附かなかった事に気が附いた。それはお花の空床《あきどこ》の隣が矢張空床になっていることであった。二つ並んで明いているので、目立ったのである。
 そして、「ああお蝶さんがまだ寝ていないが、どうしたのだろう」と思った。お花の隣の空床
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