学の教師に、山村というお爺いさんがいて、それがSpiritisme《スピリチスム》に関する、妙な迷信を持っていた。その教師が云うには、人は誰でも体の周囲《まわり》に特殊な雰囲気を有している。それを五官を以てせずして感ずるので、道を背後《うしろ》から歩いて来る友達が誰《たれ》だということは、見返らないでも分かると云った。純一は五官を以てせずして、背後《はいご》に受ける視線を感ずるのが、不愉快でならなかった。
幕が開《あ》いた。覿面《てきめん》に死と相見ているものは、姑息《こそく》に安んずることを好まない。老いたる処女エルラは、老いたる夫人の階下の部屋へ、檻の獣《けもの》を連れて来る。鷸蚌《いっぽう》ならぬ三人に争われる、獲《え》ものの青年エルハルトは、夫人に呼び戻されて、この場へ帰る。母にも従わない。父にも従わない。情誼《じょうぎ》の縄で縛ろうとするおばにも従わない。「わたくしは生きようと思います」と云う、猛烈な叫声を、今日の大向うを占めている、数多《あまた》の学生連に喝采《かっさい》せられながら、萎《しお》れる前に、吸い取られる限《かぎり》の日光を吸い取ろうとしている花のようなヴィルトン夫人に連れられて、南国をさして雪中を立とうとする、銀の鈴の附いた橇《そり》に乗りに行《ゆ》く。
この次の幕間《まくあい》であった。少し休憩の時間が長いということが、番附にことわってあったので、見物が大抵一旦席を立った。純一は丁度自分が立とうとすると、それより心持早く右手の奥さんが立ったので、前後から人に押されて、奥さんの体に触れては離れ、離れては触れながら、外の廊下の方へ歩いて行く。微《かすか》なparfum《パルフュウム》の※[#「※」は「勹+二」、第3水準1−14−75、61−2]《におい》がおりおり純一の鼻を襲うのである。
奥さんは振り向いて、目で笑った。純一は何を笑ったとも解《かい》せぬながら、行儀好く笑い交した。そして人に押されるのが可笑しいのだろうと、跡から解釈した。
廊下に出た。純一は人が疎《まばら》になったので、遠慮して奥さんの傍《そば》を離れようと思って、わざと歩度を緩め掛けた。しかしまだ二人の間に幾何《いくばく》の距離も出来ないうちに、奥さんが振り返ってこう云った。
「あなたフランス語をなさるのなら、宅に書物が沢山ございますから、見にいらっしゃいまし。新しい物ばかり御覧になるのかも知れませんが、古い本にだって、宜《よろ》しいものはございますでしょう。御遠慮はない内《うち》なのでございますの」
前から識《し》り合っている人のように、少しの窘迫《きんぱく》の態度もなく、歩きながら云われたのである。純一は名刺を出して、奥さんに渡しながら、素直にこう云った。
「わたくしは国から出て参ったばかりで、谷中に家を借りておりますが、本は殆どなんにも持っていないと云っても宜しい位です。もし文学の本がございますのですと、少し古い本で見たいものが沢山ございます」
「そうですか。文学の本がございますの。全集というような物が揃えてございますの。その外は歴史のような物が多いのでしょう。亡くなった主人は法律学者でしたが、その方の本は大学の図書館に納めてしまいましたの」
奥さんが未亡人《びぼうじん》だということを、この時純一は知った。そして初めて逢った自分に、宅へ本を見に来いなんぞと云われるのは、一家の主権者になっていられるからだなと思った。奥さんは姓名だけの小さく書いてある純一の名刺を一寸《ちょっと》読んで見て、帯の間から繻珍《しゅちん》の紙入を出して、それへしまって、自分の名刺を代りにくれながら、「あなた、お国は」と云った。
「Y県です」
「おや、それでは亡くなった主人と御同国でございますのね。東京へお出《いで》になったばかりだというのに、ちっともお国詞が出ませんじゃございませんか」
「いいえ。折々出ます」
奥さんの名刺には坂井れい子と書いてあった。純一はそれを見ると、すぐ「坂井|恒《こう》先生の奥さんでいらっしゃったのですね」と云って、丁寧に辞儀をした。
「宅を御存じでございましたの」
「いいえ。お名前だけ承知していましたのです」
坂井先生はY県出身の学者として名高い人であった。Montesquieu《モンテスキュウ》のEsprit des lois《エスプリイ デ ロア》を漢文で訳したのなんぞは、評判が高いばかりで、広く世間には行われなかったが、Code Napoleon[#「Napoleon」の「e」は「´」付き]《コオド ナポレオン》の典型的な飜訳《ほんやく》は、先生が亡くなられても、価値を減ぜずにいて、今も坂井家では、これによって少からぬ収入を得ているのである。純一も先生が四十を越すまで独身でいて、どうしたわけか、娘にしても好《い》いような、美しい細君を迎えて、まだ一年と立たないうちに、脊髄《せきずい》病で亡くなられたということは、中学にいた時、噂《うわさ》に聞いていたのである。
噂はそれのみではない。先生は本職の法科大学教授としてよりは、代々の当路者から種々《いろいろ》な用事を言い附けられて、随分多方面に働いておられたので、亡くなられた跡には一廉《ひとかど》の遺産があった。それを未亡人が一人で管理していて、旧藩主を始め、同県の人と全く交際を絶って、何を当てにしているとも分からない生活をしていられる。子がないのに、養子をせられるでもない。誰《たれ》も夫人と親密な人というもののあることを聞かない。先生の亡くなる僅か前に落成した、根岸のvilla《ヴィルラ》風の西洋造に住まっておられるが、静かに夫の跡を弔っていられるらしくはない。先生の存生《ぞんじょう》の時よりも派手な暮らしをしておられる。その生活は一《いつ》の秘密だということであった。
純一が青年の空想は、国でこの噂話を聞いた時、種々《いろいろ》な幻像を描き出していたので、坂井夫人という女は、面白い小説の女主人公のように、純一の記憶に刻み附けられていたのである。
純一は坂井先生の名を聞いていたという返事をして、奥さんの顔を見ると、その顔には又さっきの無意味な、若《もし》くは意味の掩《おお》われている微笑が浮んでいる。丁度二人は西の階段の下に佇《たたず》んでいたのである。
「上へ上がって見ましょうか」と奥さんが云った。
「ええ」
二人は階段を登った。
その時上の廊下から、「小泉君じゃあないか」と声を掛けるものがある。上から四五段目の処まで登っていた純一が、仰向いて見ると、声の主は大村であった。
「大村君ですか」
この返事をすると、奥さんは頤《あご》で知れない程の会釈をして、足を早めて階段を登ってしまって、一人で左へ行った。
純一は大村と階段の上り口に立っている。丁度Buffet《ビュッフェエ》と書いて、その下に登って左を指した矢の、書き添えてある札を打ち附けた柱の処である。純一は懐かしげに大村を見て云った。
「好く丁度一しょになったものですね。不思議なようです」
「なに、不思議なものかね。興行は二日しかない。我々は是非とも来る。そうして見ると、二分の一のprobabilite[# 最後の「e」は「´」付き]《プロバビリテエ》で出合うわけでしょう。ところが、ジダスカリアの連中なんぞは、皆大抵続けて来るから、それが殆ど一分の一になる」
「瀬戸も来ていますかしらん」
「いたようでしたよ」
「これ程立派な劇場ですから、foyer《フォアイエエ》とでも云ったような散歩|場《ば》も出来ているでしょうね」
「出来ていないのですよ。先《ま》ずこの廊下あたりがフォアイエエになっている。広い場所があっちにあるが、食堂になっているのです。日本人は歩いたり話したりするよりは、飲食をする方を好くから、食堂を広く取るようになるのでしょう」
純一の左の方にいた令嬢二人が、手を繋《つな》ぎ合って、頻《しき》りに話しながら通って行った。その外|種々《いろいろ》な人の通る中で、大村がおりおりあれは誰《たれ》だと教えてくれるのである。
それから純一は、大村と話しながら、食堂の入口まで歩いて行って、おもちゃ店《みせ》のあるあたりに暫《しばら》く立ち留まって、食堂に出入《でいり》する人を眺めていると、ベルが鳴った。
純一が大村に別れて、階段を降りて、自分の席へ行《ゆ》くとき、腰掛の列の間の狭い道で人に押されていると、又parfum《パルフュウム》の香《か》がする。振り返って見て、坂井の奥さんの謎《なぞ》の目に出合った。
雪の門口《かどぐち》の幕が開《あ》く。ヴィルトン夫人に娘を連れて行かれた、不遇の楽天詩人たる書記は、銀の鈴を鳴らして行く橇に跳飛《はねと》ばされて、足に怪我をしながらも、尚《なお》娘の前途を祝福して、寂しい家の燈《ともしび》の下《もと》に泣いている妻を慰めに帰って行く。道具が変って、丘陵の上になる。野心ある実業家たる老主人公が、平生心にえがいていた、大工場の幻を見て、雪のベンチの上に瞑目《めいもく》すると、優しい昔の情人と、反目の生活を共にした未亡人とが、屍《かばね》の上に握手して、幕は降りた。
出口が込み合うからと思って、純一は暫く廊下に立ち留まって、舞台の方を見ていた。舞台では、一旦卸した幕を上げて、俳優が大詰の道具の中で、大詰の姿勢を取って、写真を写させている。
「左様なら。御本はいつでもお出《いで》になれば、御覧に入れます」
純一が見返る暇に、坂井夫人の後姿は、出口の人込みの中にまぎれ入ってしまった。返事も出来なかったのである。純一は跡を見送りながら、ふいと思った。「どうも己《おれ》は女の人に物を言うのは、窮屈でならないが、なぜあの奥さんと話をするのを、少しも窮屈に感じなかったのだろう。それにあの奥さんは、妙な目の人だ。あの目の奥には何があるかしらん」
帰るときに気を附けていたが、大村にも瀬戸にも逢はなかった。左隣にいたお嬢さん二人が頻りに車夫の名を呼んでいるのを見た。
十
純一が日記の断片
十一月三十日。晴。毎日|几帳面《きちょうめん》に書く日記ででもあるように、天気を書くのも可笑しい。どうしても己には続いて日記を書くということが出来ない。こないだ大村を尋ねて行った時に、その話をしたら、「人間は種々《いろいろ》なものに縛られているから、自分で自分をまで縛らなくても好《い》いじゃないか」と云った。なる程、人間が生きていたと云って、何も齷齪《あくそく》として日記を附けて置かねばならないと云うものではあるまい。しかし日記に縛られずに何をするかが問題である。何の目的の為めに自己を解放するかが問題である。
作る。製作する。神が万物を製作したように製作する。これが最初の考えであった。しかしそれが出来ない。「下宿の二階に転がっていて、何が書けるか」などという批評家の詞を見る度に、そんなら世界を周遊したら、誰にでもえらい作が出来るかと反問して遣《や》りたいと思う反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思う怯懦《きょうだ》が他の一面に萌《きざ》す。丁度Titanos《チタノス》が岩石を砕いて、それを天に擲《なげう》とうとしているのを、傍に尖《とが》った帽子を被《かぶ》った一寸坊が見ていて、顔を蹙《しか》めて笑っているようなものである。
そんならどうしたら好《い》いか。
生きる。生活する。
答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。
一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜《くぐ》ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為《な》し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃《かく》した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
そこで己は何をしている。
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