字髭《はちじひげ》が、油気なしに上向《うえむき》に捩《ね》じ上げてある。純一は、髭というものは白くなる前に、四十代で赤み掛かって来る、その頃でなくては、日本人では立派にはならないものだと思った。
拊石は上《あが》り口《ぐち》で大村を見て、「何か書けますか」と声を掛けた。
「どうも持って行って見て戴くようなものは出来ません」
「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」
「余り自由になり過ぎて困ります」
「活字は自由でも、思想は自由でないからね」
緩《ゆるや》かな調子で、人に強い印象を与える詞附《ことばつき》である。強い印象を与えるのは、常に思想が霊活に動いていて、それをぴったり適応した言語で表現するからであるらしい。
拊石は会計掛の机の側へ案内せられて、座布団の上へ胡坐《あぐら》をかいて、小さい紙巻の煙草を出して呑《の》んでいると、幹事が卓《たく》の向うへ行って、紹介の挨拶をした。
拊石は不精らしく体を卓の向うへ運んだ。方々の話声の鎮まるのを、暫《しばら》く待っていて、ゆっくり口を開く。不断の会話のような調子である。
「諸君からイブセンの話をして貰いたいという事でありました。わたくしもイブセンに就いて、別に深く考えたことはない。イブセンに就いてのわたくしの智識は、諸君の既に有しておられる智識以上に何物もあるまいと思う。しかし知らない事を聞くのは骨が折れる。知っていることを聞くの気楽なるに如《し》かずである。お菓子が出ているようだから、どうぞお菓子を食べながら気楽に聞いて下さい」
こんな調子である。声色《せいしょく》を励ますというような処は少しもない。それかと云って、評判に聞いている雪嶺《せつれい》の演説のように訥弁《とつべん》の能弁だというでもない。平板極まる中《うち》に、どうかすると非常に奇警な詞が、不用意にして出て来るだけは、雪嶺の演説を速記で読んだときと同じようである。
大分話が進んで来てから、こんな事を言った。「イブセンは初め諾威《ノオルウェイ》の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴《ヨオロッパ》のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何物をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ跳《おど》っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄《もてあそ》んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入《い》っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛《こわ》がるには当らない。何も山鹿素行《やまがそこう》や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。
それから新しい事でもなんでもないが、純一がこれまで蓄えて持っている思想の中心を動かされたのは拊石が諷刺《ふうし》的な語調から、忽然《こつぜん》真面目になって、イブセンの個人主義に両面があるということを語り出した処であった。拊石は先《ま》ず、次第にあらゆる習慣の縛《いましめ》を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、所謂《いわゆる》赤い糸になって一貫していることを言った。「種々の別離を己は閲《けみ》した」という様な心持である。これを聞いている間は、純一もこれまで自分が舟に棹《さお》さして下って行く順流を、演説者も同舟の人になって下って行くように感じていた。ところが、拊石は話頭を一転して、「これがイブセンの自己の一面です、Peer Gynt《ペエル ギント》に詩人的に発揮している自己の一面です、世間的自己です」と結んで置いて、別にイブセンには最初から他の一面の自己があるということを言った。「若しこの一面がなかったら、イブセンは放縦《ほうじゅう》を説くに過ぎない。イブセンはそんな人物ではない。イブセンには別に出世間的自己があって、始終向上して行《ゆ》こうとする。それがBrand《ブラント》に於いて発揮せられている。イブセンは何の為めに習慣の朽ちたる索《つな》を引きちぎって棄てるか。ここに自由を得て、身を泥土《でいど》に委《ゆだ》ねようとするのではない。強い翼に風を切って、高く遠く飛ぼうとするのである」純一はこれを聞いていて、その語気が少しも荘重に聞かせようとする様子でなく、依然として平坦な会話の調子を維持しているにも拘《かかわ》らず、無理に自分の乗っている船の舳先《へさき》を旋《めぐ》らして逆に急流を溯《さかのぼ》らせられるような感じがして、それから暫くの間は、独りで深い思量に耽《ふけ》った。
譬《たと》えば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと掻《か》き交ぜられたような物である。それを元の通りにするのはむずかしい。いや、元の通りにしようなんぞとは思わない。元の通りでなく、どうにか整頓しようと思う。そしてそれが出来ないのである。出来ないのは無理もない。そんな整頓は固《もと》より一朝一夕に出来る筈の整頓ではないのである。純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のように、意味のない雑音になって聞えている。
純一はこの雑音を聞いているうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を欹《そばだ》てると、丁度拊石がこう云っていた。
「ゾラのClaude《クロオド》は芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。そこを藪睨《やぶにらみ》に睨んで、ブラントを諷刺だとさえ云ったものがある。実はイブセンは大真面目である。大真面目で向上の一路を示している。悉皆《しっかい》か絶無か。この理想はブラントという主人公の理想であるが、それが自己より出《い》でたるもの、自己の意志より出でたるものだという所に、イブセンの求めるものの内容が限られている。とにかく道は自己の行《ゆ》く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉《じゅんぽう》する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言《いちげん》で云えば、Autonomie《オオトノミイ》である。それを公式にして見せることは、イブセンにも出来なんだであろう。とにかくイブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」
拊石はこう云ってしまって、聴衆は結論だかなんだか分らずにいるうちに、ぶらりとテエブルを離れて前に据わっていた座布団の上に戻った。
あちこちに拍手するものがあったが、はたが応ぜないので、すぐに止《や》んでしまった。多数は演説が止んでもじっと考えている。一座は非常に静かである。
幹事が閉会を告げた。
下女が鰻飯《うなぎめし》の丼《どんぶり》を運び出す。方々で話声はちらほら聞えて来るが、その話もしめやかである。自分自分で考えることを考えているらしい。縛《いましめ》がまだ解けないのである。
幹事が拊石を送り出すを相図に、会員はそろそろ帰り始めた。
八
純一が梯子段の処に立っていると、瀬戸が忙《いそが》しそうに傍へ来て問うのである。
「君、もうすぐに帰るか」
「帰る」
「それじゃあ、僕は寄って行《い》く処があるから、失敬するよ」
門口《かどぐち》で別れて、瀬戸は神田の方へ行《ゆ》く。倶楽部へ来たときから、一しょに話していた男が、跡から足を早めて追っ駈けて行った。
純一が小川町《おがわまち》の方へ一人で歩き出すと、背後《うしろ》を大股《おおまた》に靴で歩いて来る人のあるのに気が附いた。振り返って見れば、さっき大村という名刺をくれた医科の学生であった。並ぶともなしに、純一の右側を歩きながら、こう云った。
「君はどっちへ帰るのです」
「谷中にいます」
「瀬戸は君の親友ですか」
「いいえ。親友というわけではないのですが、国で中学を一しょに遣ったものですから」
なんだか言いわけらしい返事である。血色の好《い》い、巌乗《がんじょう》な大村は、純一と歩度を合せる為めに、余程加減をして歩くらしいのである。小川町の通を須田町の方へ、二人は暫く無言で歩いている。
両側の店にはもう明りが附いている。少し風が出て、土埃《ほこり》を捲き上げる。看板ががたがた鳴る。天下堂の前の人道を歩きながら、大村が「電車ですか」と問うた。
「僕は少し歩こうと思います」
「元気だねえ。それじゃあ、僕も不精をしないで歩くとしようか。しかし君は本郷へ廻っては損でしょう」
「いいえ。大した違いはありません」
又暫く詞が絶えた。大村が歩度を加減しているらしいので、純一はなるたけ大股に歩こうとしている。しかし純一は、大村が無理をして縮める歩度は整っているのに、自分の強いて伸べようとする歩度は乱れ勝になるように感ずるのである。そしてそれが歩度ばかりではない。只なんとなく大村という男の全体は平衡を保っているのに、自分は動揺しているように感ずるのである。
この動揺の性質を純一は分析して見ようとしている。ところが、それがひどくむずかしい。先頃大石に逢った時を顧みれば、彼を大きく思って、自分を小さく思ったに違いない。しかし彼が何物をか有しているとは思わない。自分も相応に因襲や前極めを破壊している積りでいたのに、大石に逢って見れば、彼の破壊は自分なんぞより周到であるらしい。自分も今|一洗濯《ひとせんたく》したら、あんな態度になられるだろうと思った。然《しか》るに今日拊石の演説を聞いているうちに、彼が何物をか有しているのが、髣髴《ほうふつ》として認められた様である。その何物かが気になる。自分の動揺は、その何物かに与えられた波動である。純一は突然こう云った。
「一体新人というのは、どんな人を指して言うのでしょう」
大村は純一の顔をちょいと見た。そして目と口との周囲に微笑の影が閃《ひらめ》いた。
「さっき拊石さんがイブセンを新しい人だと云ったから、そう云うのですね。拊石さんは妙な人ですよ。新人というのが嫌いで、わざわざ新しい人と云っているのです。僕がいつか新人と云うと、新人とは漢語で花娵《はなよめ》の事だと云って、僕を冷かしたのです」
話が横道へ逸《そ》れるのを、純一はじれったく思って、又出直して見た。
「なる程旧人と新人ということは、女の事にばかり云ってあるようですね。そんなら僕も新しい人と云いましょう。新しい人はつまり道徳や宗教の理想なんぞに捕われていない人なんでしょうか。それとも何か別の物を有している人なんでしょうか」
微笑が又閃く。
「消極的新人と積極的新人と、どっちが本当の新人かと云うことになりますね」
「ええ。まあ、そうです。その積極的新人というものがあるでしょうか」
微笑が又閃く。
「そうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈《はず》には相違ないでしょう。破壊してしまえば、又建設する。石を崩しては、又積むのでしょうよ。君は哲学を読みましたか」
「哲学に就いては、少し読んで見ました。哲学その物はなんにも読みません」正直に、躊躇せずに答えたのである。
「そうでしょう」
夕《ゆうべ》の昌平橋は雑沓《ざっとう》する。内神田の咽喉《いんこう》を扼《やく》している、ここの狭隘《きょうあい》に、おりおり捲き起される冷たい埃《ほこり》を浴びて、影のような群集《ぐんじゅ》が忙《せわ》しげに摩《す》れ違っている。暫くは話も出来ないので、影と一しょに急ぎながら空を見れば、仁丹の広告燈が青くなったり、赤くなったりしている。純一は暫く考えて見て云った。
「哲学が幾度建設せられても、その度毎に破壊せられるように、新人も積極的になって、何物かを建設したら、又その何物かに捕われるのではないでしょうか」
「捕われるので
前へ
次へ
全29ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング