愛してこういう会に臨まれたのを感謝するというような詞もあった。
 大臣は大きな赤い顔をして酒をちびりちびり飲んでいる。純一は遠くからこの人の巌乗《がんじょう》な体を見て、なる程世間の風波に堪えるには、あんな体でなくてはなるまいと思った。折々近処の人と話をする。話をする度にきっと微笑する。これも世に処し人を遇する習慣であろう。しかし話をし止《や》めると、眉間《みけん》に深い皺《しわ》が寄る。既往に於ける幾多の不如意が刻み附けたecriture[# 一つ目の「e」は「´」付き] runique《エクリチュウル リュニック》であろう。
 吸物が吸ってしまわれて、刺身が荒された頃、所々《しょしょ》から床の間の前へお杯頂戴《さかずきちょうだい》に出掛けるものがある。所々で知人と知人とが固まり合う。誰《たれ》やらが誰やらに紹介して貰う。そこにもここにも談話が湧《わ》く。忽《たちま》ちどこかで、「芸者はどうしたのだ」と叫んだものがある。誰かが笑う。誰かが賛成と呼ぶ。誰かがしっと云う。
 この時純一は、自分の直ぐ傍《そば》で、幹事を取り巻いて盛んに議論をしているものがあるのに気が附いた。聞けば、芸者を呼ぶ呼ばぬの問題に就いて論じているのである。
 暫く聞いているうちに、驚く可《べ》し、宴会に芸者がいる、宴会に芸者がいらぬと争っている、その中へ謂《い》わばtertium comparationis《テルチウム コンパラショニス》として例の学生諸君が引き出されているのである。宴会に芸者がいらぬのではない。学生諸君のいる宴会だから、芸者のいない方が好《い》いという処に、Antigeishaisme[#一つ目の「e」は「´」付き」]《アンチゲイシャイスム》の側は帰着するらしい。それから一体誰がそんな事を言い出したかということになった。
 この声高《こわだか》に、しかも双方からironie《イロニイ》の調子を以て遣られている議論を、おとなしく真面目に引き受けていた曽根幹事は、已むことを得ず、こういう事を打明けた。こん度の忘年会の計画をしているうちに、或る日教育会の職員になっている塩田《しおだ》に逢った。塩田の云うには、あの会は学生も出ることだから、芸者を呼ばないが好《い》いと云うことであった。それから先輩二三人に相談したところが、異議がないので、芸者なしということになったそうである。
「偽善だよ」と、聞いていた一人が云った。「先輩だって、そんな議論を持ち出されたとき、己は芸者が呼んで貰いたいと云うわけには行《い》かない。議論を持ち出したものの偽善が、先輩を余儀なくして偽善をさせたのだ」
「それは穿《うが》って云えばそんなものかも知れないが、あらゆる美徳を偽善にしてしまっても困るね」と、今一人が云った。
「美徳なものか。芸者が心《しん》から厭なのなら、美徳かも知れない。又そうでなくても、好きな芸者の誘惑に真面目に打勝とうとしているのなら、それも美徳かも知れない。学生のいないところでは呼ぶ芸者を、いるところで呼ばないなんて、そんな美徳はないよ」
「しかし世間というものはそうしたもので、それを美徳としなくてはならないのではあるまいか」
「これはけしからん。それではまるで偽善の世界になってしまうね」
 議論の火の手は又|熾《さか》んになる。純一は面白がって聞いている。熾んにはなる。しかしそれは花火|綫香《せんこう》が熾んに燃えるようなものである。なぜというに、この言い争っている一群《ひとむれ》の中に、芸者が真に厭だとか、下《く》だらないとか思っているらしいものは一人もない。いずれも自分の好む所を暴露しようか、暴露すまいか、どの位まで暴露しようかなどという心持でしゃべっているに過ぎない。そこで偽善には相違ない。そんなら偽善呼ばわりをしている男はどうかというに、これも自分が真の善というものを持っているので、偽善を排斥するというのでもなんでもない。暴露主義である。浅薄な、随《したが》って価値のないCynisme《シニスム》であると、純一は思っている。
 とにかく塩田君を呼んで来《こ》ようじゃないかということになった。曽根は暫く方々見廻していたが、とうとう大臣の前に据わって辞儀をしている塩田を見附けて、連れに行った。
 塩田という名も、新聞や雑誌に度々出たことがあるので、純一は知っている。どんな人かと思って、曽根の連れて来るのを待っていると、想像したとはまるで違った男が来た。新しい道徳というものに、頼《よ》るべきものがない以上は、古い道徳に頼《よ》らなくてはならない、古《むかし》に復《かえ》るが即ち醒覚《せいかく》であると云っている人だから、容貌も道学先生らしく窮屈に出来ていて、それに幾分か世と忤《さか》っている、misanthrope《ミザントロオプ》らしい処がありそうに思ったのに、引っ張られて来た塩田は、やはり曽根と同じような、番頭らしい男である。曽根は小男なのに、塩田は背が高い。曽根は細面で、尖《とが》ったような顔をしているのに、塩田は下膨れの顔で、濃い頬髯《ほおひげ》を剃《そ》った迹《あと》が青い。しかしどちらも如才なさそうな様子をして、目にひどく融通の利きそうなironique《イロニック》な閃《ひらめ》きを持っている。「こんな事を言わなくては、世間が渡られない。それでお互にこんな事を言っている。実際はそうばかりは行《い》かない。それもお互に知っている」とでも云うような表情が、この男の断えず忙《いそが》しそうに動いている目の中に現れているのである。
「芸者かね。何も僕が絶待《ぜったい》的に拒絶したわけじゃあないのです。学生諸君も来られる席であって見れば、そんなものは呼ばない方が穏当だろうと云ったのですよ」塩田は最初から譲歩し掛かっている。
「そんなら君の、その不穏当だという感じを少し辛抱して貰えば好《い》いのだ」と、偽善嫌いの男が露骨に出た。
 相談は直ぐに纏《まと》まった。塩田は費用はどうするかと云い出して、一頓挫《いっとんざ》を来たしそうであったが、会費が余り窮屈には見積ってない処へ、侯爵家の寄附があったから、その心配はないと云って、曽根は席を起《た》った。
 四五人を隔てて据わっていた瀬戸が、つと純一の前に来た。そして小声で云った。
「僕のような学生という奴は随分侮辱せられているね。さっきからの議論を聞いただろう」
 純一が黙って微笑《ほほえ》んでいると、瀬戸は「君は学生ではないのだが」と言い足した。
「もう冷かすのはよし給え。知らない人ばかりの宴会だから、恩典に浴したくなかったのだ。僕はこんな会へ来たら、国の詞《ことば》でも聞かれるかと思ったら、皆|東京子《とうきょうっこ》になってしまっているね」
「そうばかりでもないよ。大臣の近所へ行って聞いていて見給え。ござりますのざに、アクセントのあるのなんぞが沢山聞かれるから」
「まあ、どうやらこうやら柳橋の芸者というものだけは、近くで拝見ができそうだ」
「なに。今頃出し抜《ぬけ》に掛けたって、ろくな芸者がいるものか。よくよくのお茶碾《ちゃひ》きでなくては」
「そういうものかね」
 こんな話をしている時、曽根が座敷の真中に立って、大声でこう云った。
「諸君。大臣閣下は外《ほか》に今一つ宴会がおありなさるそうで、お先きへお立ちになりました。諸君に宜《よろ》しく申してくれと云うことでありました。どうぞ跡の諸君は御ゆっくりなさるように願います。只今|別品《べっぴん》が参ります」
 所々《しょしょ》に拍手するものがある。見れば床の間の前の真中の席は空虚になっていた。
 殆ど同時に芸者が五六人這入って来た。

     十七

 席はもう大分乱れている。所々に少《ちい》さい圏《わ》を作って話をしているかと思えば、空虚な坐布団も間々《あいだあいだ》に出来ている。芸者達は暫く酌をしていたが、何か※[#「※」は「口+耳」、第3水準1−14−94、140−8]《ささや》き合って一度に立ってこん度は三味線を持って出た。そして入口《いりぐち》のあたりで、床の間に併行した線の上に四人が一列に並んで、弾いたり歌ったりすると、二人はその前に立って踊った。そうぞうしかった話声があらかた歇《や》んだ。中にはひどく真面目になって踊を見ているものもある。
 まだ純一の前を起たずに、背を円くして胡坐《あぐら》を掻《か》いて、不精らしく紙巻煙草を飲んでいた瀬戸が、「長歌の老松《おいまつ》というのだ」と、教育的説明をして、暫くして又こう云った。
「見給え。あのこっちから見て右の方で踊っている芸者なんぞは、お茶碾き仲間にしては別品だね」
「僕なんぞはどうせ上手か下手か分からないのだから、踊はお酌の方が綺麗で好かろうと思う。なぜきょうはお酌が来ないのだろう」
「そうさね。明いたのがいなかったのだろう」
 こう云って、瀬戸はついと起って、どこかへ行ってしまった。純一は自分の右も左も皆空席になっているのに気が附いて、なんだか居心が悪くなった。そこで電車で逢って一しょに来た、あの高山先生の処へでも行って見ようかと、ふと思い附いて、先生の顔が見えたように思った、床の間の左の、違棚《ちがいだな》のあたりを見ると、先生は相変らず何やら盛んに話している。自分の隣にいた曽根も先生の前へ行っている。純一は丁度|好《い》いと思って、曽根の背後《うしろ》の方へ行って据わって、高山先生の話を聞いた。先生はこんな事を言っている。
「秦淮《しんわい》には驚いたね。さようさ。幅が広い処で六間もあろうか。まあ、六間幅の溝《どぶ》だね。その水のきたないことおびただしい。それから見ると、西湖《せいこ》の方はとにかく湖水らしい。好《い》い景色だと云って好《い》い処もある。同じ湖水でも、洞庭湖《どうていこ》は駄目だ。冬|往《い》って見たからかも知れないが、洲《す》ばかりあって一向湖水らしくない」
 先生の支那に行《ゆ》かれた時の話と見える。先生は純一の目の自分の顔に注がれているのに気が附いて、「失礼ですが、持ち合せていますから」と云って、杯《さかずき》を差した。それを受けると、横の方から赤い襦袢《じゅばん》の袖の絡んだ白い手がひょいと出て、酌をした。
 その手の主を見れば、さっき踊っているのを、瀬戸が別品だと云って褒めた女であった。
 純一は先生に返杯をして、支那の芝居の話やら、西瓜《すいか》の核《たね》をお茶受けに出す話やらを跡に聞き流して、自分の席に帰った。両隣共依然として空席になっている。純一はぼんやりして、あたりを見廻している。
 同じ列の曽根の空席を隔てた先きに、やはり官吏らしい、四十恰好の、洋服の控鈕《ぼたん》の孔から時計の金鎖を垂らしている男が、さっき三味線を弾いていた、更けた芸者を相手に、頻《しき》りに話している。小さい銀杏返《いちょうがえ》しを結《い》って、黒繻子《くろじゅす》の帯を締めている中婆《ちゅうば》あさんである。相手にとは云っても、客が芸者を相手にしている積りでいるだけで、芸者は些《すこ》しもこの客を相手にしてはいない。客は芸者を揶揄《からか》っている積りで、徹頭徹尾芸者に揶揄われている。客を子供扱いにすると云おうか。そうでもない。無智な子供を大人が扱うには、多少いたわる情がある。この老妓《ろうぎ》はmalintentionne[# 最後の「e」は「´」付き]《マルアンタンションネエ》に侮辱を客に加えて、その悪意を包み隠すだけの抑制をも自己の上に加えていないのである。客は自己の無智に乗ぜられていながら、少しもそれを曉《さと》らずに、薄い笑談《じょうだん》の衣を掛けた、苦い皮肉を浴《あび》せられて、無邪気に笑い興じている。
 純一は暫く聞いていて、非常に不快に感じた。馬鹿にせられている四十男は、気の毒がって遣る程の価値はない。それに対しては、純一は全然indifferent[# 一つ目の「e」は「´」付き]《アンジフェラン》でいる。しかし老妓は憎い。
 芸者は残忍な動物である。これが純一の最初に芸者というものに下した解釈であった。
 突然会話の続きを
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