き上がった。それは奥さんの或る姿勢である。己がラシイヌを借りて帰ろうとすると、寒いからというので、小間使に言い付けて、燗《かん》をした葡萄酒《ぶどうしゅ》を出させて、己がそれを飲むのをじっと見ていながら、それまで前屈《まえかが》みになって掛けていられた長椅子に、背を十分に持たせて白足袋を穿《は》いた両足をずっと前へ伸ばされた。記憶から浮き上がったのは意味のない様なあの時の姿勢である。
あれを思い出すと同時に、己は往《ゆ》くときから帰るまでの奥さんとの対話を回顧して見て、一つも愛情にわたる詞のなかったのに驚いた。そしてあらゆる小説や脚本が虚構ではあるまいかと疑って見た。その時ふいとAude《オオド》という名が思い出された。只オオドの目は海のように人を漂わしながら、死せる目であった、空虚な目であったというのに、奥さんの謎の目は生きているだけが違う。あの目はいろいろな事を語った。しかしあの姿勢も何事をか己に語ったのである。あんな語りようは珍らしい。飽くまで行儀正しい処と、一変して飽くまでfrivole《フリヴオル》な処とのあるのも、あれもオオドだと、つくづく思いながら歩いていたら、美術学校
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