評家の詞を見る度に、そんなら世界を周遊したら、誰にでもえらい作が出来るかと反問して遣《や》りたいと思う反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思う怯懦《きょうだ》が他の一面に萌《きざ》す。丁度Titanos《チタノス》が岩石を砕いて、それを天に擲《なげう》とうとしているのを、傍に尖《とが》った帽子を被《かぶ》った一寸坊が見ていて、顔を蹙《しか》めて笑っているようなものである。
 そんならどうしたら好《い》いか。
 生きる。生活する。
 答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。
 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜《くぐ》ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為《な》し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に劃《かく》した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
 そこで己は何をしている。
 今日
前へ 次へ
全282ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング