っている。夏も冬も同じ事である。冬は部屋の隅の鉄砲煖炉に松真木《まつまき》が燻《くすぶ》っているだけである。
 或日稽古の時間より三十分ばかり早く行ったので、ベルタンさんといろいろな話をした。その時教師がお前は何になる積りかと問うたので、正直にRomancier《ロマンシェエ》になると云った。ベルタンさんは二三度問い返して、妙な顔をして黙ってしまった。この人は小説家というものに就いては、これまで少しも考えて見た事がないので、何と云って好《い》いか分からなかったらしい。殆どわたくしは火星へ移住しますとでも云ったのと同じ位に呆れたらしい。
 純一は読み掛けた雑誌も読まずにこんな回想に耽《ふけ》っていたが、ふと今朝婆あさんの起して置いてくれた火鉢の火が、真白い灰を被って小さくなってしまったのに気が附いて、慌てて炭をついで、頬を膨らせて頻《しき》りに吹き始めた。

     六

 天長節の日の午前はこんな風で立ってしまった。婆あさんの運んで来た昼食《ひるしょく》を食べた。そこへぶらりと瀬戸|速人《はやと》が来た。
 婆あさんが倅の長次郎に白《しら》げさせて持《も》て来た、小さい木札に、純一が
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