れている頭には、持病の頭痛があって、古びたタラアルのような黒い衣で包んでいる腰のあたりにも、厭《いや》な病気があるのを、いつも手前療治で繕っているらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言うのである。ようようの思《おもい》でこの人に為て貰った事は巴里の書肆《しょし》へ紹介して貰っただけである。
 こんな事を思っている内に、故郷の町はずれの、田圃《たんぼ》の中に、じめじめした処へ土を盛って、不恰好《ぶかっこう》に造ったペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。聖公会と書いた、古びた木札の掛けてある、赤く塗った門を這入ると、瓦《かわら》で築き上げた花壇が二つある。その一つには百合《ゆり》が植えてある。今一つの方にはコスモスが植えてある。どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋の季《すえ》に覚束《おぼつか》なげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。中にもコスモスは、胡蘿蔔《にんじん》のような葉がちぢれて、瘠《や》せた幹がひょろひょろして立っているのである。
 その奥の、搏風《はふ》だけゴチック賽《まがい》に造った、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭
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