を覗いていると、隣の植木鉢を沢山|入口《いりくち》に並べてある家から、白髪《しらが》の婆あさんが出て来て話をし掛けた。聞けば貸家になっている家は、この婆あさんの亭主で、植木屋をしていた爺いさんが、倅《せがれ》に娵《よめ》を取って家を譲るとき、新しく立てて這入《はい》った隠居所なのである。爺いさんは四年前に、倅が戦争に行っている留守に、七十幾つとかで亡くなった。それから貸家にして、油画をかく人に借《か》していたが、先月その人が京都へ越して行って、明家《あきや》になったというのである。画家は一人ものであった。食事は植木屋から運んだ。総てこの家から上がる銭は婆あさんのものになるので、若《も》し一人もののお客が附いたら、やはり前通りに食事の世話をしても好《い》いと云っている。
 婆あさんの質樸《しつぼく》で、身綺麗《みぎれい》にしているのが、純一にはひどく気に入った。婆あさんの方でも、純一の大人しそうな、品の好《い》いのが、一目見て気に入ったので、「お友達があって、御一しょにお住まいになるなら、それでも宜しゅうございますが、出来ることならあなたのようなお方に、お一人で住まって戴《いただ》きたい
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