りもまだ店が締めずにある。公園一つを中に隔てて、都鄙《とひ》それぞれの歳暮《さいぼ》の賑《にぎわ》いが見える。
我家の門で車を返して、部屋に這入った。袂から蝋《ろう》マッチを出して、ランプを附けて見れば、婆あさんが気を附けてくれたものと見えて、丁寧に床が取ってあるばかりではない、火鉢に掛けてある湯沸かしには湯が沸いている。それを卸して見れば、生けてある佐倉炭が真赤におこっている。純一はそれを掻き起して、炭を沢山くべた。
綺麗《きれい》に片附けた机の上には、読みさして置いて出たマアテルリンクの青い鳥が一冊ある。その上に葉書が一枚乗っている。ふと明日箱根へ立つ人の便りかと思って、手に取る時何がなしに動悸《どうき》がしたがそうでは無かった。差出人は大村であった。「明日参上いたすべく候《そうろう》に付、外《ほか》に御用事なくば、御待下されたく候。尤《もっと》も当方も用事にては無之《これなく》候」としてある。これだけの文章にも、どこやら大村らしい処があると感じた純一は、独り微笑《ほほえ》んで葉書を机の下にある、針金で編んだ書類入れに入れた。これは純一が神保町《じんぼうちょう》の停留|場《ば》
前へ
次へ
全282ページ中194ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング