始めて少し内容のあるような事を言った。それに批評家が何と云っていると云うことを、向うに話させれば、勢《いきおい》その通だとか、そうではないとか云わなくてはならなくなる。今来た少年の、無垢《むく》の自然をそのままのような目附を見て、ふいと※[#「※」は「革+疆のつくり」、第3水準1−93−81、17−12]《たづな》が緩んだなと、大石は気が附いたが、既に遅かった。
「批評家は大体こう云うのです。先生のお書になるものは真の告白だ。ああ云う告白をなさる厳粛な態度に服する。Aurelius Augustinus《オオレリアス オオガスチヌス》だとか、Jean Jaques Rousseau《ジャン ジャック ルソオ》だとか云うような、昔の人の取った態度のようだと云うのです」
「難有《ありがた》いわけだね。僕は今の先生方の論文も面倒だから読まないが、昔の人の書いたものも面倒だから読まない。しかし聖Augustinus《オオガスチヌス》は若い時に乱行を遣って、基督《クリスト》教に這入ってから、態度を一変してしまって、fanatic《ファナチック》な坊さんになって懺悔《ざんげ》をしたのだそうだ。Ro
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