書いて貰った」
「そんなら好かろう。随分話のしにくい男だというから、ふいと行ったって駄目だろうと思ったのだ。もうそろそろ十時になるだろう。そこいらまで一しょに行《い》こう」
二人は又狭い横町を抜けて、幅の広い寂しい通を横切って、純一の一度渡った、小川に掛けた生木《なまき》の橋を渡って、千駄木下《せんだぎした》の大通に出た。菊見に行くらしい車が、大分続いて藍染橋《あいそめばし》の方から来る。瀬戸が先へ立って、ペンキ塗の杙《くい》にゐで井病院と仮名違《かなちがい》に書いて立ててある、西側の横町へ這入るので、純一は附いて行《ゆ》く。瀬戸が思い出したように問うた。
「どこにいるのだい」
「まだ日蔭町の宿屋にいる」
「それじゃあ居所が極《き》まったら知らせてくれ給えよ」
瀬戸は名刺を出して、動坂《どうざか》の下宿の番地を鉛筆で書いて渡した。
「僕はここにいる。君は路花の処へ入門するのかね。盛んな事を遣って盛んな事を書いているというじゃないか」
「君は読まないか」
「小説はめったに読まないよ」
二人は藪下へ出た。瀬戸が立ち留まった。
「僕はここで失敬するが、道は分かるかね」
「ここはさっき通
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