仰やいます。どうぞお冥加に一銭戴かせて下さいまし。」
ドルフは帽を脱いで寺に這入つた。そして円柱を楯にして、銀の釘を打つた柩の黒いキヤタフアルクの下に隠れるのを見送つた。
「主よ。御身の意志の儘なれ。わたくしがあの男に免したやうに、御身もあの男に免し給へ。」
会葬者が手向の行列を作つた。ドルフは一人の歌童の手から、燃えてゐる蝋燭を受け取つて、人々の背後《うしろ》に附いて歩き出した。盤の四隅から焔の立ち升つてゐる、高い大燈明の周囲を廻るのである。それが済むと、外《ほか》の会葬|男女《なんによ》の群を離れて、ドルフ一人は暗い片隅に跪いて祈祷した。
「主よ。どうぞわたくしにもお免《ゆるし》下さい。わたくしはあの男を水の中から救ひ出しながら、妻《さい》リイケを辱めた奴だと気が附くや否や、それが厭になつて、復讐をしようと思ひました。わたくしはあの男を撞き放しました。わたくしはあの男に母親のあることを知つてゐました。母親の手に息子を返して遣ることが、わたくしの自由であつたのに、それを撞き放しました。まだ水から引き上げない中に、撞き放しました。主よ。どうぞおゆるし下さい。若し罰を受けなくてはならない事なら、どうぞわたくし一人にそれを受けさせて下さい。」
祈祷してしまつてドルフは寺を出た。そして心のうちに思つた。「もうこれで世の中に、あのリイケの生んだ子を己の子でないと云ふことの出来るものは、一人もなくなつた。」
河岸の方から「おい、ドルフ」と呼ぶ声がした。見ればジヤツクを救ひに河に這入つたのを見てゐた仲間達である。皆気の荒い男ではあるが、ドルフが水に潜つた時は、胸が女の胸のやうに跳つた。そしてドルフが無事で陸《おか》に上がつた時、身のめぐりを囲んで、「どうも己達皆を一つにしても、お主《ぬし》一人程の値打はないなあ」と叫んだのである。仲間達は今ドルフに進み近づいて握手して云つた。「おい、ドルフ。まあ、己達はこの儘死んでしまつた所で、度胸のある男を一人は見て死ぬと云ふものだなあ。」
ドルフは笑つた。「いや。己は又こなひだの晩に生れたリイケの赤ん坊の健康を祝して、お主達と一杯飲まずには、どうしても死ぬることが出来ないのだ。」
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頃日《このごろ》亡くなつたベルジツク文壇の耆宿《きしゆく》カミイユ・ルモンニエエの小説を訳したのは、これが始ではあるまいか。或は此前にあるかも知れぬが、己は見ない。バルザツク、フロオベル、ゾラと数へて来ると、ルモンニエエの名は自然に唇に上《のぼ》る。それが冷遇せられて、丁度フランスのモオパツサンなどと同じやうに、ベルジツクでマアテルリンクだけが喧伝せられてゐるのは遺憾である。此訳文には頗る大胆な試みがしてある。傍看者から云つたら、乱暴な事かも知れない。それは訳文が一字脱けた、一行脱けたと細かに穿鑿する世の中に、こゝでは或は十行、或は二三十行づゝ、二三箇所削つてあることである。訳者は却つてこれがために、物語の効果が高まつたやうに感じて居るが、原文を知つてゐる他人がそれに同意するか否かは疑問である。一九一三年十月二十八日記す。
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初出:「聖ニコラウスの夜」大正二年一一―一二月「三田文学」四ノ一一―一二
原題(独訳):Sankt Nikolaus bei den Schiffern.
原作者:Antoine Louis Camille Lemonnier, 1844−1913.
翻訳原本:Der Zeitgeist; Beiblatt zum Berliner Tageblatt. 7. Juli; 14. Juli 1913.
底本:「鴎外選集 第十四巻」岩波書店
1979(昭和54)年12月19日
入力:tatsuki
校正:しず
2001年10月25日公開
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