母紀伊に引き取られて、伊達家の奥へ来た。
 振姫は実は池田輝政《いけだてるまさ》の子で、家康の二女|督姫《かうひめ》が生んだのである。それを家康が養女にして忠宗に嫁せしめた。綱宗は忠宗の側室|貝姫《かひひめ》の腹に出来たのを振姫が養ひ取つて、嫡出の子として届けたのである。貝姫は櫛笥左中将隆致《くしげさちゆうじやうたかむね》の女で、後西院《ごさいゐん》天皇の生母|御匣局《みくしげのつぼね》の妹である。
 忠宗は世を去る三年前に、紀伊の連れてゐる初子の美しくて賢いのに目を附けて、子綱宗の妾《せふ》にしようと云ふことを、紀伊に話した。しかし紀伊は自分達の家世を語つて、姪《めひ》を妾にすることを辞退した。そこで綱宗と初子とは、明暦元年の正月に浜屋敷で婚礼をしたのである。
 初子の美しかつたことは、其木像を見ても想像せられる。短冊や、消息、自ら書写した法華経《ほけきやう》を見るに、能書である。和歌をも解してゐた。容《かたち》が美しくて心の優しい女であつたらしい。それゆゑ忠宗が婚礼をさせてまで、妻の侍女の姪を子綱宗の配偶にしたのであらう。
 此初子が嫡男まで生んでゐる所へ、側から入つて来た品が、綱
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