が》の訣別《けつべつ》をしたと云ふ事実である。これは一切の係累を絶つて、不幸なる綱宗に一身を捧げようと云ふ趣意であつた。綱宗もそれを喜んで、品に雪薄《ゆきすゝき》の紋を遣《や》つたさうである。
 品は初一念を翻《ひるがへ》さずに、とう/\二十で情交を結んだ綱宗が七十二の翁《おきな》になつて歿するまで、忠実に仕へて、綱宗が歿した時尼になつて、浄休院と呼ばれ、仙台に往つて享保元年に七十八歳で死んだ。
 此間に品が四十五歳の時、綱宗が薙髪《ちはつ》し、品が四十八歳の時、初子が歿した。綱宗入道嘉心は此後二十五年の久しい年月を、品と二人で暮したと云つても大過なからう。これは別に証拠はないが、私は豪邁《がうまい》の気象を以て不幸の境遇に耐へてゐた嘉心を慰めた品を、啻《たゞ》誠実であつたのみでなく、気骨のある女丈夫《ぢよぢやうふ》であつたやうに想像することを禁じ得ない。
 品は晩年に中塚十兵衛茂文と云ふ人の女《むすめ》石を養女にして、熊谷斎直清《くまがいいつきなほきよ》と云ふ人に嫁《とつ》がせて置いたので、品の亡くなつた跡を、直清の二男|常之助《つねのすけ》が立てることになつた。椙原氏は此椙原常之助
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