い道理が存じてゐるのである。
誰でも著述に従事してゐるものは思ふことであるが、著述がどれ丈《だけ》人に読まれるかは問題である。著述が世に公《おほやけ》にせられると、そこには人がそれを読み得ると云ふポツシビリテエが生ずる。しかし実にそれを読む人は少数である。一般の人に読者が少いばかりではない。読書家と称して好い人だつて、其読書力には際限がある。沢山《たくさん》出る書籍を悉《こと/″\》く読むわけには行かない。そこで某雑誌に書いたやうな、歴史に趣味を有する人でも、切角《せつかく》の大槻さんの発表に心附かずにゐることになるのである。
某雑誌の記事は奥州話《あうしうばなし》と云ふ書に本づいてゐる。あの書は仙台の工藤平助《くどうへいすけ》と云ふ人の女《むすめ》で、只野伊賀《たゞのいが》と云ふ人の妻になつた文子《あやこ》と云ふものゝ著述で、文子は滝沢馬琴に識《し》られてゐたので、多少名高くなつてゐる。しかし奥州話は大槻さんも知つてゐて、弁妄《べんまう》の筆を把《と》つてゐるのである。
文子の説によれば、伊達綱宗《だてつなむね》は新吉原の娼妓《しやうぎ》高尾を身受《みうけ》して、仙台に連れて帰
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