を去らない。特に彼《かの》過去帖に遠近の親戚《しんせき》百八人が挙げてあるのに、初代瑞仙のただ一人の実子善直というものが痕跡《こんせき》をだに留《とど》めずに消滅しているという一事は、この疑を助長する媒《なかだち》となるのである。
 そしてわたくしは撰者不詳の墓誌の残欠に、京水が刺《そし》ってあるのを見ては、忌憚《きたん》なきの甚だしきだと感じ、晋が養父の賞美の語を記《き》して、一の抑損の句をも著《つ》けぬのを見ては、簡傲《かんごう》もまた甚だしいと感ずることを禁じ得ない。わたくしには初代瑞仙独美、二世瑞仙晋、京水の三人の間に或るドラアムが蔵せられているように思われてならない。わたくしの世の人に教を乞いたいというのはこれである。
 わたくしは抽斎の誕生を語るに当って、後《のち》にその師となるべき人々を数えた。それは抽斎の生れた時、四十一歳であった迷庵、三十一歳であった※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎《えきさい》、二十九歳であった蘭軒の三人と、京水とであって、独り京水は過去帖を獲るまでその齢《よわい》を算することが出来なかった。なぜというに、京水の歿年が天保七年だということは
前へ 次へ
全446ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング