《ぶんみょう》に嶺松寺に葬る、または嶺寺に葬ると注してあるのは初代瑞仙、その妻|佐井氏《さいうじ》、二代瑞仙、その二男|洪之助《こうのすけ》、二代瑞仙の兄|信一《しんいち》の五人に過ぎない。しかし既に京水《けいすい》の墓が同じ寺にあったとすると、徒士町《かちまち》の池田氏の人々の墓もこの寺にあっただろう。要するに嶺松寺にあったという確証のある墓は、この書に注してある駿河台《するがだい》の池田氏の墓五基と、京水の墓とで、合計六基である。
 この書の記《き》する所は、わたくしのために創聞《そうぶん》に属するものが頗《すこぶ》る多い。就中《なかんずく》異《い》とすべきは、独美に玄俊《げんしゅん》という弟があって、それが宇野氏を娶《めと》って、二人の間に出来た子が京水だという一事《いちじ》である。この書に拠《よ》れば、独美は一旦《いったん》姪《てつ》京水を養って子として置きながら、それに家を嗣《つ》がせず、更に門人|村岡晋《むらおかしん》を養って子とし、それに業を継がせたことになる。
 然るに富士川さんの抄した墓誌には、京水は独美の子で廃せられたと書してあったらしい。しかもその廃せられた所以《
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