るが、これを上梓《じょうし》することは出来なかった。そのうち支那公使館にいた楊守敬《ようしゅけい》がその写本を手に入れ、それを姚子梁《ようしりょう》が公使|徐承祖《じょしょうそ》に見せたので、徐承祖が序文を書いて刊行させることになった。その時|幸《さいわい》に森がまだ生存していて、校正したのである。
世間に多少抽斎を知っている人のあるのは、この支那人の手で刊行せられた『経籍訪古志』があるからである。しかしわたくしはこれに依って抽斎を知ったのではない。
わたくしは少《わか》い時から多読の癖があって、随分多く書を買う。わたくしの俸銭の大部分は内地の書肆《しょし》と、ベルリン、パリイの書估《しょこ》との手に入《い》ってしまう。しかしわたくしはかつて珍本を求めたことがない。或《あ》る時ドイツのバルテルスの『文学史』の序を読むと、バルテルスが多く書を読もうとして、廉価の本を渉猟《しょうりょう》し、『文学史』に引用した諸家の書も、大抵レクラム版の書に過ぎないといってあった。わたくしはこれを読んで私《ひそ》かに殊域同嗜《しゅいきどうし》の人を獲《え》たと思った。それゆえわたくしは漢籍においても宋
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